141844 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

フランス語翻訳者の独り言

フランス語翻訳者の独り言

PR

全16件 (16件中 1-10件目)

1 2 >

棚から牡丹餅でフランス語翻訳者

2007年05月03日
XML
2003年 (15年目)
アンティーク雑貨を買い漁った末、8月に日本へ「移住」し、9月には早速ネットショップをオープンしました。
HPへのアクセスが増えて売上も伸びていくと同時に、フランス語についての質問が寄せられるようになりました。これが、翻訳サービスを開始しようと思ったキッカケです。
翻訳用のHPを作成すると、途端に依頼が舞い込みました。そして、翻訳会社の下請けの仕事が確実に増えてゆきました。フランス語を勉強した日本人なら沢山いる筈なのですが、「是非ともそちらにお願いしたい案件があって・・・」とおっしゃっていただく翻訳会社が幾つかあるのです。「大学で仏文学を専攻していた」「パリに2年間語学留学していた」という他の翻訳者とは全然違う、とおっしゃるのです。
言われてみればその通りです。14年間フランスにどっぷり浸かって蓄積した語彙と情報の量は、学校で習得できる量の数十倍から数百倍になるといっても過言ではないでしょう。
まして、翻訳に「ひらめき」や「応用力」は要りません。「コツ」も無いと思っています。あれこれ考えて答えを導き出す作業ではないからです。翻訳は、もっと単純なのです。日本語⇔フランス語の翻訳であれば、日本語とフランス語の両方において圧倒的な量の語彙と情報を持っている者が勝ちなのです・・・
こうして、フランス14年の実生活で体得したフランス語が強力な商売道具になることに、漸く気が付いたのでした。なんとまぁ、私は馬鹿だったのでしょう!


フランス語翻訳を生業にしています






最終更新日  2007年05月03日 23時06分52秒


2007年05月01日
2002年 (14年目)
オルレアンを去り、パリへ引越しました。暫くは次の仕事のことは何も考えずにのんびりすることにしました。のんびりと読書をするのです。
条件は整っています。セーヌ川沿いには古本屋が並んでいます。土日には、Parc Georges Brassensで古本市が開かれます。
しかし、次の仕事のことを積極的に考えるつもりはなくても、考えてしまいます。ヒマなのですから。
日本で何をしようか・・・?
サラリーマンをする自信はありません。
開業するにしても、人を雇うのは御免蒙りたい・・・
そこで思い立ったのが、アンティークショップ! アンティーク雑貨は昔から大好きでしたし、実店舗を構えずにネット通販のみの運営であれば自分が求めている生活スタイルを実現できると考えたのです。
そうと決まれば、グズグズしていられません。仕入れに関する調査、輸入や通関に関する法令や手続きの調査、ホームページ作成に関する勉強など、張り切って準備を開始しました。土日になると、田舎のBrocanteを巡って買付けです。
アンティーク関連の月刊誌を毎月購入するだけでは物足らず、バックナンバーも買い揃えました(凄い量です)。それらを読むのは造作無いことです。営業成績は未知数でも、情報量は日本国内で無敵! 日本に戻って営業を開始するのが楽しみでした。

つづく

フランス語翻訳を生業にしています






最終更新日  2007年05月01日 09時43分55秒
2007年04月25日
2001年 (13年目)
2号店の売却を済ませ、残る1号店と3号店を同時に売却するために買い手を探すのですが、そう簡単に見つかるものではありません。営業を続けるものの、熱意は失われ、「現状維持」に努めるばかりでした。
それでも、今から思えば楽しく贅沢な時間を過ごしていました。読書三昧の日々だったわけですから。文学的な好みも明確になりました。19世紀後半の短編と中編です。P. MERIMEEとE. ABOUTが特にお気に入りです。「écrivain payé à la ligne(1行いくらで執筆していた作家)」の退屈な作品は、論外です。
そうこうするうちに店の買い手も見つかり、レストランを経営するのも年度末で終わりになりました。やれやれって感じでした。

つづく

フランス語翻訳を生業にしています






最終更新日  2007年04月25日 11時13分14秒
2007年04月23日
2000年 (12年目)
受難と転機の年でした。
まず、2号店を任せておいた友人が売上をごまかしていることが判明しました。10年近くのつきあいがあったので、ショックは大きかったです。
日本では、アルバイトの学生さんに店を任せることに不安を感じないでしょう。ところが、世界中の何処の国でもそうかというと、違うのです。親子や兄弟でないとレジを任せることができないような国が(多々)あるわけです。ファミリービジネスしか育たない国があるでしょう?
単身で渡仏していたので、フランスには家族は1人もいません。10年来の友人には裏切られました。ここで、先が見えてしまったのです。4号店以降は無理なのです。
そして、URSSAF(社会保険庁)とモメました。言い掛かりをつけられたとしか思えないような内容でした。相手がどの部分の解釈を間違っているのが分かっていたのですが、それについては、裁判所に事前に提出する意見書には書きませんでした。それまでの質問書や電話での直接協議での先方の対応が余りにも癪に障っていたので、法廷で恥をかかせてやろうと思ったのです。
結局、「殆ど負けないURSSAF」を相手に完全勝訴しましたので、本当にくだらない案件だったのです。でも、勝ったから笑い話になりますが、相手の間違いを指摘していなければ罰金(途方もない金額)を払っていたわけです。困りものです。
そうして、色んなことに疲れて意欲も喪失していた頃、日本へ一時帰国しました。そして、ショックを受けたのです。人々の表情が明るいこと! 「不景気な日本」の景気が良いこと!
考えてみれば、フランスで頑張らないといけない理由は何ひとつありません。こうして、日本への移住を決心しました。

つづく

フランス語翻訳を生業にしています






最終更新日  2007年04月23日 20時03分33秒
2007年04月16日
1999年 (11年目)
懲りずに3号店のオープンです。中心街の歩行者専用区域で、例の古本屋さんの隣です!
フランスに「どっぷり浸かって10年」になり、テレビやラジオは十分に理解できるようになっていました。
フランスでは、討論やトーク番組(お笑い要素は日本より少ない)が多いのですが、感心したのは、「政治家がきっちりとした文章で整然と話すこと」です。話の説得力で競争を勝ち抜いてきた人たちなのです(親父の地盤を継いだだけの日本の政治家とはレベルに雲泥の差があります。例えば、「太田総理・・・秘書田中」で理路整然と持論を述べることができる政治家が何人いるでしょうか)。
ともかく、各種メディアからは色んな情報や意見が耳に入ってくるのですが、「左寄り」のスタンスが気になるのです。また、「あなたの不満の原因は、全て他人や政府にある」、大概の社会問題をコレで片付けるのです。「あなたが太るのは、太るような食品を製造・販売する会社の責任」、こういうレベルです。
そういう風潮に対する嫌悪感が募り、小説を書くことにしました。「太って困るのならダイエットすればいいじゃないの?」「仕事がないから政府は何とかしろってデモ行進をする時間があるなら、仕事を探すなり自営業でも始めたら?」みたいなことを、ひとつの物語に仕上げようと思い立ったのですが・・・
書くことの難しいこと!
当たり前です。
「漢字を読めても書けない」のと全く同じです。

つづく

フランス語翻訳を生業にしています






最終更新日  2007年04月16日 09時39分57秒
2007年04月10日
1998年 (10年目)
2号店をオープンしました。当時は元気だったのです!
そんなある日、学生時代に日本で読んだことがあったメリメの短編を原書で読もうと思い立ったのです。
すると、結構読めるのです。フランス生活4年目には「Petit Prince」を読むのに苦労したわけですので、進歩したということでしょう。
これに気をよくして、もっと読書をしよう! と思い立ったのです。ペーパーバックを買うのも味気ないので、古本(中古本とは少し違います)を買うことにしました。
レストランの営業は、昼12-14時、夜19-23時でした。午後の休み時間は勿論のこと、キッチンが準備を行っている営業前や、お客さんがくる前の待ち時間に、ひたすら読むのです。週に2-3冊のペースですから、次に読む本を探すのも大変です(笑)。こうして、2003年に帰国するまでに約500冊を読むことになります。
今でもオルレアンに出かけると、古本屋の主人に会いにゆきます。この主人、恐ろしいくらい博識なのです。もちろんフランス文学にも詳しく、大概のことはご存知です。私が最も尊敬するフランス人の友人です。

つづく

フランス語翻訳を生業にしています






最終更新日  2007年05月14日 08時39分15秒
2007年04月09日
1997年 (9年目)
フランスでは、何もしないと(失業など)手厚い待遇を受けられますが、事業を展開するとなると、「踏んだり蹴ったり」です。
とにかく、役所という役所とモメるのです。県庁・市役所・衛生局・労働監督局・職安・社会保険局・失業保険局・税務署・・・。
分からないことがあって電話をしても、答えが得られる保証はありません。答えを得ても、それが正しいとは限りません。回答が間違っていても、役所の責任は問えません。Nul ne peut ignorer la loi. 市民たるもの法律は知ってなくてはならないのです !
それから、電話ではダメです。文書で質問して文書で回答してもらわないといけません。それも、予め調べて、答えが想像できる状態でなければダメです。結論を書いて、「これで良いでしょう?」という文書にするのがベストなのです。
諸税の減額をお願いする時も、ただ「お願い」するだけではダメです。「もっともらしい理由」と「自分が適切と判断する課税率」を書いた上で、「税額の再計算」まで行えば、「それでよろしいです」という文書が戻ってきます。それは違いますよ、これぐらいの減額しか出来ませんよ、という返事を、役所は書きません。面倒ですから(笑)。
こういうことを繰り返すうちに、専門用語や言回しを徐々に覚えたわけです。それでも当時は、まともな文章を書くことはできませんでした。「語彙があること」と「文章を書くこと」は違うのです。ネイティブのチェックを受けると「真っ赤」になりました。

つづく

フランス語翻訳を生業にしています






最終更新日  2007年04月09日 18時50分03秒
2007年04月02日
1996年 (8年目)
1月。早速、12月度の営業実績の検証です。売上・原価率・人件費・その他経費を計算しました。すると、原価率が高くて(約40%)赤字です。仕入れ等は前払いしていましたし、社保関係は、4半期ごとの支払いですから、支払いに困っているということはなかったのですが、実態に気が付かずにそのまま運営していると、そのうちに倒産するのは明らかな状況です。決算書を毎月作成していたお陰で助かったようなものです。「K社」に感謝しました!
早速、いろんなことを見直しました。作業は簡単です。全ての契約書・請求書・給与明細を眺めて、削れるところを探すのです。「経費削減」は身近な言葉でしたが、自分のこととなると真剣さが全く違いますね。
そして5月。それまで勤めていた「K社」を退職しました。「K社」の会長は怒っていましたが、社長が「うまくやれよ」と言ってくれました。深い言葉でした。
それまで、日本語を話すマダガスカル人の友人に接客やレジを任せていたのですが、彼には辞めてもらうしかありませんでした。残念ですが、仕方がありません。
約40席のレストランを、サービス1人(私)と調理1人で回転させるのですから大変でした。
ウケを狙って、「ゆかた」を着てサービスをしました。狙い通り、ウケました。「その着物、素敵ですね」と言われて、「これパジャマなんですよ」と答えると、またウケるのです。
「あなたは日本語を話せるのですか」って、よく訊かれました。フランスの田舎の実生活(7年)の中で覚えたフランス語を話していたわけですから、「この人はフランスで生まれたのだろう」「この人はフランスで義務教育を受けたのだろう」と思われていたようです。それでも・・・
ある日、お客さんが「週刊エクスプレス」を置いて帰りました。中を読むと、半分ぐらいしか分からないのです。そう、「会話」と「文章」は違うのです。
その後、「エクスプレス」の定期購読を始めました。会社として購入すると40%ぐらいの割引があったので、何となく申し込みました(笑)。それから2001年まで5年間、毎号欠かさず隅々まで読みました(フランスの雑誌には珍しく「左派よりでない」ところが気に入りました)。ここで蓄積されたものが今の財産の一部分になっていることは言うまでもありません。

つづく

フランス語翻訳を生業にしています






最終更新日  2007年04月02日 12時22分04秒
2007年03月31日
1995年 (7年目)
サラリーマン9年目、フランス7年目。変化を求めて始動した年です。
自分で、自分のお金で、自分の責任で、商売をやりたくなったのです。
手頃(?)な商売といえば、レストランです。かといって、イタリアンやフレンチに詳しいわけでもありません。「和食の定食屋」に落ち着きました。
さて、開業にむけて準備です。店舗や機材など「ハード」に関する準備はさておき、事業形態(個人事業・有限会社・株式会社)や消費税納付方法、関連法令、諸手続などに関する勉強が先決です。見込まれる経費を細かく計算した上で、損益分岐点を計算しなくてはなりません。赤字を補填する財力はありませんので(笑)。
余談ですが、フランスは社会保障費が高い国ですので、ここを少なくするのが重要です。小さな商売の場合、死活問題になるのです(色んなことを考慮の末、私は「個人有限会社の代表」となることに決めました)。
そういうわけで、起業家向けのノウハウ本や関連法令をいろいろと買って読みましたが、とっつきにくい文体だこと! でも、文句は言えません。日本でも、民法や商法・会社法は、同じような文体で書いてありますから。
夏ごろに手頃な物件が見つかりました。売値と家賃は許容範囲内です。もう、やるしかありません。
一応、有限会社ですから、設立総会の議事録や定款、その他の登記に必要な書類を作成するわけです。それ以外にも、必要な届出は幾つもあります。サラリーマンの「中間管理職」として、それなりの仕事は経験済みだったのですが、これは「実戦」です。ドキドキワクワクです!

そして12月1日、めでたく開店しました。オルレアン市で最初の日本食レストランの誕生です(パリ以外では、「日本食って中華と同じじゃないの?」って思われていた時代でした)。但し、そこはゴールではなく、スタートでした。

つづく

フランス語翻訳を生業にしています






最終更新日  2007年03月31日 09時14分37秒
2007年03月28日
1994年 (6年目)
詩を書きました(韻を踏んでいないので、詩とはいえないのですが)。
日常会話では、「フランス語で直接考えて」話していましたが、モノを書くとなると、「日本語で一旦考えたものを仏訳する」レベルでした。
「ひねった表現」を織り込んで、面白い作品が書けたものだと得意になって、友人たちに読んでもらいました。ところが、彼らは「意味不明」だと言うのです!
「そういう言い方をしない」、これに尽きるのです。でも当時は、そこのところがよく理解できていませんでした。
今になって思うことですが、詩のように、「含み」や「幅」があり、普通の表現とは違った「気の利いた表現」が求められる文章を書くためには、「正しい文章を書く能力」を持ち合わせていなくてはなりません。基本がしっかりできてこそ、応用ができるのです。普通の文章を正しく書くこともできないのに、詩を書けるわけがないのです。
そのことを理解したのはその数年後になりますが、とりあえずは、「一語一句を正確に日本語からフランス語に置き換えればよいというものではない」ということに気が付いたのです。これだけでも進歩だったといえるのでしょう。

つづく

フランス語翻訳を生業にしています






最終更新日  2007年03月28日 23時13分41秒

全16件 (16件中 1-10件目)

1 2 >


© Rakuten Group, Inc.