2018/03/11(日)19:10
「一人一国」
「一人ぽっちのあなたへ...。」
ひとりぽっちのあなたがいて
ひとりぽっちの私がいます
でも ひとりぽっちがたくさんいれば
ひとりぽっちは
ひとりぽっちじゃなくなります
だから ひとりぽっちのあなたに
あ.り.が.と.う
(ひとりぽっちの私より)
私のエッセイの中で今の所、一番短いのは
「一人一国」
親子、兄弟姉妹、どんなに仲良い友、夫婦であっても一人一人違う人生であり、違うという意味から。
使う言葉も、例え同じ言葉でも意味は全く違う場合もある。
厳密に言えば、人は一人一人心の中に、もの凄い量の辞書を持ち歩き、しかも間違ったり、思い込みでお互いに勘違いで話している。
だから逆に、違う国の人と思えば、最初から「他国の人の言葉だから解らない」との理解から始まるから気楽になるのだけれど、家族や親しい仲だと、どうして解ってくれない❗と甘えが出て摩擦が強くなるときがある。
それも過ぎれば支配、依存でがんじがらめ。
だからこそ「一人一国」と覚悟して、使う言葉の意味も使いどころも違うと理解し、時には、今の言葉はこのような意味なのですか?と聞いて、微調整するようにしないと、長い時間の中で誤解が誤解を呼んで一機に爆発してしまうことがある。
あまりにも違う時は通訳(どちらの思いもある程度わかり、悪意無く正確に間に立てる友人等)を立てる必要も出てくる。
高じれば弁護士等、法律に委ねるしかならなくなる。
喜怒哀楽でさえ、何で笑っているの怒ってるのか、泣いているのか、幸せなのか、同じものを見ていてもそれぞれ違う。
少しでも自分の有り様と近く、自分が穏やかに心豊かにいられる居場所を何処かにみつけようと人はさまよう。
でも、人は「一人一国」どう感じるか知っているのは自分しかいない。
私は支配されたくも、したくもない。
だから独立する。
競争から協奏へ。
でも競争で成長して豊かになる人もいるから、それはそれでいい。
ただ、其では辛い人が生きられる居場所もあって良いし、大切だと思う。
だから私はそんな場所を自分の中につくる。
とは言え、そんな私は生きにくい(笑)。
だから、そんな自分のために昔作った詩...。
一人じゃないよといわれても、どうしてもそう思えない程ひねくれちまった時、今もこの詩で助かる(笑)