雪とタヌキと科学者と
ジャッキー奥様と幼い双子が例のボスに会っていた頃、彼女の夫と長女は、研究所の宿泊施設にいた。朝食を済ませ、快適なホテル様式の部屋で、ジェフは仕事の時間まで何をして暇をつぶそうかと考えていた。窓の外は灰色の世界、近づいてきた春はどこかで足踏みしているようで、朝から雪が降りしきっていた。「雑誌がいろいろあるぞ、パーディ…」娘の様子を見たジェフは、「え、なんで…?」という顔をした。パーディは彼を見上げて、「ふん」と鼻を鳴らした。「タヌキか…」ヒトガタというか獣人型のいつもの姿ではなく、完全にタヌキになっていた。エゾタヌキのような、寒冷地仕様の毛深いタヌキ。時々、完全にウサギになったりタヌキになったりしてはいる。が、メンテナンスと各種検査のために来ている今、なんでタヌキ…。「機械のくせに、非常識な!」ウサロイドのくせに変化(へんげ)するとは、という意味だが、生体であってもじゅうぶん非常識だ。まあ、そういうカートゥーンの世界なのだから、今更文句を言っても始まらない。彼も妻も、突然性転換したり、お人形サイズになったり、時にはライオンになったりする。巨大な毛玉はドアの傍へ行くと、何かを期待するように尻尾をぽふんと振った。犬のようにぱたぱた振ることはないが、尻尾はけっこう感情表現の役に立っている。「まさかお前、」父親はここであからさまに嫌な顔をすると逆効果だと知っているので、ポーカーフェイスで言った、「散歩に行きたいとか言うんじゃないだろうな?」「みゅっ」タヌキは首を縦に――下にではなく尊大に上に――振った。「雪降ってるぞ?」「…」「たしかに、毎日降ってるけど、今日はいつもよりたくさん降ってますが?」タヌキはまた「ふん」と鼻を鳴らすと、くるりとドアの方を向いた。「はあ…」ジェフは諦めて、コートを着て帽子をかぶった。ロビーに行くと、従業員が妙なものを見るような目でパーディを見た。ソファで雑談したり新聞を読んだりしているビジネスマンや科学者らしき人たちからも、注目された。夏毛の時、パーディはタンポポの花のような色だが、冬毛になるとレモネードのような淡い黄色で、目は青く、一見してタヌキだとわかる人はほとんどいなかった。哺乳類の専門家や獣医は、二度見して「珍しい色のタヌキですね!」と言うのが常だった。外に出ると、雪はドバドバという形容がちょうどいいように激しく降っていた。パーディは何も問題なさそうにスタスタ歩いていた。たぶんこの種のタヌキは、マイナス20℃ぐらいまでは寒いという感覚が始動しないのだろう、とジェフは思った。彼も基本的に寒冷地仕様のウサギ、時々タヌキなので、ヒトガタの姿の時も、しっかりコートを着ていれば、それほど寒いとは感じていなかった。「やっぱりいつもよりたくさん降ってるな。庭のどこなんだか、視界悪くてわからん。池に落ちてもどうせ凍ってるから問題ないけど…、つか、パーディ、やばいぞこれ!」振り向いたパーディの、目と鼻がかろうじて見えた。「ホワイトアウトだ!!」タヌキは首を傾げた。「だから何?」と思っていたが、散歩を続けても何も見えなくて面白くないとも思っているところだった。「足跡が消えないうちに戻ろう」とジェフが言うと、パーディは素直に引き返して歩きだした。ドゥルルンとタヌキドリルで雪を振り飛ばし、水も空気も通さない深い毛皮は、白い闇の中でふんわり輝いていた。5分ほど歩くと、少し雪が小降りになって、数メートル周囲が見えるようになった。急に目の前に人が現れて(見える範囲に入ったということ)、相手も同じでお互いに「わあっ!」「おっ!?」と驚いた。その男は、パーディをじっと見つめて、「タヌキ…!」と言った。へえ、すぐタヌキだとわかったのか、動物学者か?と思ってジェフは、「タヌキだが何か?」と言った。男はいきなり感情が高ぶったように、「わ、私のタヌキを探してください!!」と叫んだ。「お前のタヌキ??」パーディも「にゃ?」という顔をして男を見上げた。「散歩していて、はぐれてしまったんです」男は泣きそうな顔で言った。「飼ってるのか」「はい、生まれてまもなく保護された子で、野生で暮らしたことがなくて、この雪で困ってるだろうと…」「…」ジェフは、タヌキなら大丈夫だろうと、足元の無敵の毛玉を見て思ったが、男が本当に心配しているので、助けてやろうと思った。と言っても、自分は何もできない。「パーディ、探せるか?」「にゃっ」パーディは、男のブーツとコートの裾の匂いをかいで、ある方向へ迷いなく歩きだした。男たちは彼女を見失わないように、急いでついて行った。2,3分行った所で、パーディは新雪が積もった地面を重点的に嗅ぎまわり、一か所を前足で掘り始めた。「そこか!」一緒に手で掘ると、すぐに弾力のある大きな毛玉を掘り当てた。ズボッ!とまん丸い獣を引っぱり出す。「カロリーヌ!よかった!!」タヌキの飼い主は、茶色い毛玉を抱きしめながら雪を払ってやった。カロリーヌはきょとんとして、飼い主と見知らぬ人と淡黄色のタヌキを見た。「自分で穴を掘って埋まっていたんだな」とジェフが言った。「賢いじゃないか」タヌキと飼い主たちは、どうにか建物に戻ることができて、宿泊所のカフェで休んでいた。パーディは、カロリーヌの飼い主が部屋から持ってきたタヌキ用ビスケットをもらって食べていた。(ジェフが買ったシナモンドーナツが欲しかったが、「カロリーヌちゃんの前では普通のタヌキらしくしろ」と目で言われて、「あとでドーナツとアイス食べる」と目で言い返した。)「私は、動物用フードの製造販売会社に勤めています」と、カロリーヌ・パパが言った。「タヌキ用などは需要は少ないけれど、動物園や研究施設のように継続的に買ってくれる顧客に安定供給することが経営方針です」「ドッグフードじゃダメなのか?」とジェフが聞いた。「少しなら大丈夫です。タヌキ用は、食物繊維多め、タンパク質少な目に調整しています」「へえ…」「あ、キャットフードをあげないでくださいね」「え?」「栄養が濃すぎるんです」「あ、うん、わかった…」彼らはタヌキたちを見ながら話していた。カロリーヌは、パーディに毛づくろいしてもらって心地よさそうにしていた。「パーディさんは、優しいお姉さんですね^^」もちろん、うちの娘はいい子だ!と思ってほほ笑むジェフは、「優秀な娘のおかげで今月も俺チームが売り上げNO.1!」と勝ち誇るマフィアの幹部のよう(な見た目)だったが、タヌキしか見ていないカロリーヌ・パパは気にしなかった。「この子は去年の春に生まれました」オタクにもペットの飼い主にもよくいるが、聞かなくてもいくらでも喋る男だった。「生まれてまもなく親が死んでしまって、うちのかかりつけの獣医――猫とフェレットとハリネズミとインコも飼っているんです。犬もいたけど死んでしまって…――が一時的に預かっていたんですが、遺伝子検査をしたら、日本のエゾタヌキの血を引いていることがわかったんです。それで…」「野生に帰せないから、飼うしかなかった、と」「そうなんです!」いや、飼いたかったんだろう、とG君でなくても突っ込みたいところである。「この春一歳になります。ほかのタヌキに会ったことはなくて、パーディさんが初めてです!」「そうか…」初めてのタヌキが「これ」で、なんかごめん、と思いつつ、パーディは毛色以外はけっこうタヌキらしくしているからいいのかな、と思うジェフであった。人目のある所で堂々とというかふてぶてしい態度でいるのが、タヌキらしくないと言えばなかったが。カロリーヌに毛づくろいされて、パーディもまんざらでなさそうだった。時間になったので、ラボに向かいながら、タヌキ親子(親は耳と尻尾以外は人間)は(またもや目で?)話していた。「カロリーヌは、自分がタヌキだとわかっているんだろうか?」「さあね。私もべつに同族だとか言わなかったし」「タヌキの性格は個体差が大きいと聞くが、あの子はわりと犬っぽいと思わないか?」「そだね。人懐こくていい子だね」「うちの双子は、タヌキらしいな、たぶん」チビだけど、猫が相手するのを嫌がるくらい運動量が多くて、悪気なくランボーで破壊の天使。「ウサギらしくもあるよ」「そうか?ウサギってあんなに…」「ピーター・ラビット実写版にすごい親近感持って、何度も観てるよw」「ああ…」あと、ウサビッチも、という突っ込みは各自でどうぞ。ラボに着くと、パーディ担当の研究員が出迎えた。「え?ええー???」ジェフが抱いて差し出すパーディを見て、コッペリアはエッフェル塔にワルツの相手を頼まれた時のような顔をしたが、しっかりタヌキを受け取って、「ええー!パーディ?!ほんとにー?wwwwww」と、タヌキを抱いて一人でワルツを踊り始めた。「なんかごめん…」というジェフの声は聞こえてなかっただろう。「うわあ!タヌキになることがあるって聞いてたけど、ほんとなのねー!!可愛いー!!ふかふか^^ねえ、メンテどうする?喋れる?」「にゃっ」「あ、にゃー語はできるのね」「みゅっ、にゃー!」「キーボードも叩ける!ノープロブレムだね!!」いや、あるだろ…、いいのかそれで、さすがパーディ開発者ww「あ、斎藤博士、こんにちは!」ウサロイド部門の長である斎藤博士が来たので、ジェフは挨拶した。「やあ、ごきげんよう!」「先生、見て、見て!パーディなんですよ!!」コッペリアがパーディを見せると、さすがの斎藤博士も固まったが、1.5秒で復活して、「初めて見る色だ!外皮どこから取るのかな?少し分解していいかな?」「><。。。」パパタヌキはその先を聞きたくないので耳を塞いだ。「天と地の間には、コッペリア、」と斎藤博士は言った、「科学が夢にも知らないことがあるんだよ!」「おっしゃる通りです!」コッペリアはパーディのお腹に顔を埋めて「タヌキ吸い」していた。実際にパーディを作った「母」の手を持つ彼女だから、こんなことが許されるのだ。「みゃう(苦しゅうない)」パーディは目を細めて、優しく鳴いた。おわり