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そば屋 はるみの 岡崎市 うどん

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Let's confirm whether you catch cold if you are hot.
船頭多くして、船山に登る。
ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい。
真実はいっぱい、おっぱいは2杯。
星の数ほど女はいるが、星には手が届かない。
カロリーは高いほどおいしい。きれいかわいいほど女は危ない。
やる気のあるやつは視野が狭い。正義は強いほど視野が狭い。
昔に帰りたい人は、たとえ帰っても、その昔に返りたい。
四葉のクローバーを見つけるために、三つ葉のクローバーを踏みに?じってはいけない。幸せはそんな風に探すものではない。

* ホームレスの方・旅行中でキャンプをしたい方、軒先での寝袋利用や、裏の駐車場でテント張ってもいいです。必ず声をおかけください。

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2013年12月12日
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カテゴリ:カテゴリ未分類

 

 今年も大変お世話になりました。

 年末年始お休み無しでがんばります。ずーーーと営業ですが1月4日(土曜)だけ休みます。1月6・7日は定休日ですが、一畑山薬師寺の参拝で人が出るので営業します。ま~~いつも休みますので、お正月は営業と言う事ですね。(笑い!)

2014年もよろしくお願いいたします。マリオことマ~~クンでした。







最終更新日  2013年12月12日 11時45分40秒
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2013年11月29日
カテゴリ:カテゴリ未分類
正覚寺住職 石川 信暁
 
真実の世界から現れて来るもの
 
今月の法語は、﹃不安に立つ﹄という御著書もある、安田理深師の言葉です。
私たちは日々の暮らしの中で「不安」を感ずると、何とかそれを無くそうと努めます。何故なら、「不安」というものはあってはならないネガティブなものだと思っているからです。「不安」の無い「明るく朗らかな日々」こそ「幸せ」だと思っているのです。しかし、本質的な「不安」は、どうやっても無くせません。そのため私たちは勢い「不安」を掻︵か︶き消すために、より刺激的な「享楽︵きょうらく︶」を求めて彷徨︵さまよ︶い始めることになりがちです。
それに対して安田理深師は、「不安が如来なのだ」と仰るのです。
「如来」とは「仏」「ほとけさま」と同義の言葉ですが、くわしく頂けば、「如」といわれる「真実そのものの世界」から、「この世」に「現れて来る」ということを意味しています。「如来如去」という言い方もあり、文字通り、「真実そのものの世界から現れて来て、真実を告げ知らせ、また真実そのものの世界に帰っていく」のが「如来さま」、つまり「仏さま」なのです。
 
南無阿弥陀仏の救い
 
「不安こそが如来」なのです。つまり、私たちを悩ませ苦しませる「不安」こそが、「私たちを真実に導いて下さる本当に尊いもの」だということです。
私たちが日々、生きている中で、「不安」を感じたり、「不全感」を抱いたりするのは、私たちの生き方に潜む「歪︵ゆが︶みや問題性」を、本来性を回復しようとしている深い「いのち」そのものが教えようとしているのだ、と安田理深師は仰るのです。
「生老病死」つまり「生まれた以上は、必ず老い病み死ぬ身」でありながら、「老いたくない病みたくない死にたくないという思い」を「自分」として生きている限り、「不安」は必然なのです。何故なら私たちの日々に起こってくることの全ては、そういう「自分」が決して認めたくない「老病死」の「徴候︵ちょうこう︶」に他ならないからです。
それらをそのままに受け取れる「自分」に成らない限り、つまり、そういう智慧︵ちえ︶をいただかない限り、私たちの「不安」は止まない道理なのです。
今月の法語を残された安田理深師は、また、「南無阿弥陀仏とは、思いに死んで事実に生きよ﹗との呼びかけのことだ」と言い切って下さった方でもあります。
「老いたくない病みたくない死にたくないという思い」の虚妄性︵きょもうせい︶に目覚めて、「生まれた以上は老い病み死んでいく身の事実」に随︵したが︶っていくことこそ伝統的に「南無阿弥陀仏」という言葉で表現され伝えられ続けてきた深い智慧︵ちえ︶なのです。この智慧をいただくことこそ「往生浄土︵おうじょうじょうど︶」、つまり「救い」なのです。
 
一人前の老人の仲間入り
 
私ごとなのですが、昭和三十年生まれの私も「還暦︵かんれき︶」が近づいてきて、いろいろな「老い」の徴候︵ちょうこう︶がハッキリと現れてきています。
父から「若禿︵わかはげ︶」の遺伝子を頂いてきた私の髪は風前の灯︵笑︶ですし、母から「もろい歯」を頂いてきた私の歯は、虫歯どころか歯周病︵ししゅうびょう︶・歯槽膿漏︵しそうのうろう︶の段階をとっくに過ぎて、いまや奥歯を全て失い、総入れ歯にせざるをえない直前まで来ています。
故戸松政憲師がお説教の中で繰り返し、「歳をとると下のパッキンが緩︵ゆる︶んでくる」と言っては皆を笑わせていましたが、このところの頻尿︵ひんにょう︶がついに行くところまで行って、一昨年の暮れにはついに「失禁︵しっきん︶」を経験しました。
お月参りの途中、尿意を覚えたのですが、そのお宅では先月もトイレを借りたばかりで何となく格好悪いと思って我慢して、帰宅するまで何とかなるだろうと思って運転していたのですが、庫裏の玄関に着いたとたんに堪︵こら︶えきれなくなり溢︵あふ︶れ出てしまったのでした︵爆︶。
何とも情けないことでしたが、「それにしても本当に戸松師の仰る通りやなぁ﹗」、と感心して思わず笑ってしまいました。その前後に電車に乗ったら、「よかったらお席をどうぞ」と若い娘さんに生まれて初めて席を譲られて、嬉しいような悲しいような、「俺も一人前の老人になってきたんやなぁ」と、改めて思ったことでした。それ以来、いつでもどこでも尿意を覚えたら遠慮なくトイレを借りることにしています。そういう折には皆さんよろしくお願いします︵笑︶。
 
1病息災
病には病の値打ち。身を横たえて知る空の高さ。
 
長年の生き方を変えられぬ我々
 
登山が趣味の私は、なかなか叶いませんが「年間二、三回は出掛けたいと願っている日本アルプスの縦走登山」に備えての体力づくりも兼ねて、遠望峰山や三ヶ根山や五井山や西尾の茶臼山などの地元の低山に、時間があると繰り返し出かけるのですが、同じ山に何回、何十回登っても、不思議とその都度その都度、新しい発見があって、とても楽しいのです。
先日、本宮山で奇妙な男性に出会いました。その方は自動車関係の会社を最近、定年で退職したが、「何か趣味を持たなくてはならぬ」と考えて、「中高年の登山ブームだと聞いたので、とりあえず自分も登山というものをしてみようと出かけてきた」と言うのですが、大きなリュックを背負い、ヘッドホーンで音楽を聴きながら、読書をしながら歩いているのです。
「せっかく山に来ているのに、そんなにいろんなことを同時にしていたら落ち着かないでしょうに」と言ったら、何と「いや、ただただ歩いているだけでは時間が実にもったいない。もっといろいろやらないと、どうにも間が持たない」と答えるのです。
その方は、きっとノルマに追い立てられての忙しい会社員生活を何十年と繰り返してきたので、そこで身についてしまった習い性が、なかなか抜けないのでしょう。せっかく山に登ってきていても、その方には、山の空気も感じられず、木々の緑も空の青さも見えていないのでしょう。
 
病の恩恵に感謝する生き方
 
その方と出会ったとき、私は今月の法語を思い出したのでした。私たちが「自分の生き方を振り返る」とか、ましてや「生き方を変える」ということは、いかに難しいか、ということです。
私の親友は、四十代の半ばで癌︵がん︶という病にかかり、それまでの生き方を根本から変えて、見事に甦︵よみがえ︶りました。
「これまでの自分の生き方は癌をもたらすようなストレスをため込むような歪︵ゆが︶んだ生き方だった。この生き方そのものを変えない限り、この癌を取り除いても、きっとまた別の癌を惹起︵じゃっき︶するだけだろう...」と深く反省した彼は、思い切ってそれまでの仕事を辞めて、温泉めぐりの楽しい日々を何年も過ごす中で、「免疫力︵めんえきりょく︶」を高めて、転移の徴候さえあった癌を見事に退縮︵たいしゅく︶させてしまったのでした。
「自分が死ぬか否か﹗」という危機的な病気になったからこそ、彼は、そこまでの大胆な決断が出来たのです。
先ほどの奇妙な登山者が示しているように、私たちは卒業とか定年退職とか転居とか離婚ぐらいでは、自分の生き方を、とうてい変えられない「頑固な生きもの」なのです。有無も言わさず「死」を突きつけて、私たちの生き方を根本から問い返してくる「病の恩恵︵おんけい︶」というものがある、と思われてならないのです。






最終更新日  2013年11月29日 20時24分55秒
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2013年11月01日
カテゴリ:カテゴリ未分類

 <はるみの>です。関本マリオです。業務連絡

1 来週1週間ニューヨークです。すべて休みます。11月4~12日岡崎にいません。
2 気をつけよう、暗い夜道と甘い言葉!(これ入れたのは冗談ですから。たまに深く考えたりする人がいるようです。別に意味はありません。)
ではマタネットマリオ。

こんなかわいい絵をもらった。ありがとうね!

1382412_655376341163047_687479850_n.jpg







最終更新日  2013年11月01日 11時58分36秒
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2013年08月23日
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最後にどうしても読んでほしいこと。

 それは集団とその個人を分けて、考え・理解すると言うことです。これが一般には理解されない。理解しても感情が入ってしまう。それは自分と集団との距離が取れてない事。それ以外の自分が無いことが原因。あなたはその集団の一員でしかないのにプライドや劣等感を強く持つ、それは問題。あなた自身による自分の評価や、外からの評価は一つの集団によるものであってはならない。

 例えば、今の中学生は、中学生と言う社会だけに住んでいる。逃げ場が無いからいじめで自殺する。例えば、教師である人は学校ではそうでも、家や仕事以外では違う自分であるべきなのです。そうできるのが緩やかな集団。

 例えば、僕が政治家や教師のことを書きます。それは集団としての理解であって、個人のAさんBさんの事を言ってるのではない。違う。トヨタの悪口を言うと、トヨタの社員のSさんは沈む。あなたはトヨタの社長なのか?もう少し言うと、、、

 ネトウは嫌いでもAさんは友達。政治家はひどくてもBさんは立派。自衛隊は嫌いでもCさんは好き。ゴウヤは嫌いでもゴウヤの煮物は好き。逆もしかり。キムヨンジャは好きでも韓国は嫌い。牧師のDさんは嫌いだけど神を信じる。・・・・いっぱい。強い集団に入れば入るほど、この区別が出来なくなる。あなたの人格はその集団とイコールではない。集団に依存するのよ止め、そこから離れて、そうすればもう少し自由、自由に話が出来るようになる。そうすると楽しい。

 次はマリオの戦争論、、エッ!まだつづくの??
そうなんです。







最終更新日  2013年08月24日 01時04分20秒
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グルメは怖い カンボジア編  その1
エッ!まだ書くの?そうなんです、人が言わない思わないこと違う事を書くのじゃ!

 10年以上前、僕はカンボジアのトゥールスレン収容所にいた。別名,S21虐殺収容所。ここでポルポト時代2万人が殺された。そして死体があふれるとキリング・フィールドに埋められた。そこには頭蓋骨が集められた塔が建っていた。当時カンボジア全土で200万人が殺された。人口の30%。カンボジア人は穏やかでおとなしく、戦闘的ではない。従順な人達だった。なのになぜ?僕は答えを求めに行った。

 この事件は現在も裁判が行われ、時々小さく報道される。今まで言われている事は指導者は虐殺を指示していない。看守は指導者を恐れそれをおこなった。スパイを聞かれた囚人達は拷問を恐れ、知っている人の名・友人や家族の名前を言った。そしてみんな殺された。まさに地獄、国民同士が、友人・家族が殺しあった。

 <従順とアウンの呼吸(集団依存型の)>これが殺し合いの一番の答え。国家体制・思想や指導者の資質の問題はその次。日本ではこのような事件は起きないと思ってるかもしれないけど、民族性は結構近い。で、身近な問題で考える。
 日本でも時々起こる、中学生の集団暴行殺人事件、「お前は何で殴らないんだ・・、」と中心人物が言わなくても、あうんの呼吸で集団全体が殴る。自分が殴られそうだから・止めると自分の居場所が無くなる。強い集団は内側だけ見ていて、周りの社会・正義が見えない。

 それを、いじめとも言う。中学生頃は親と言う家族集団から離れ、自分の群れ・集団を作り、さらに大きな社会と言う集団を学ぶ時期。この集団から離れては生きていけないと強く思えば思うほど、その集団は強く・強制力が働く。

 15・16歳頃は自我の目覚め、自分の行動を試す時、バラバラになる時。中学校の管理者は必死でまとめ縛ろうとする。いじめの原因はここにある。カウンセリングは教育者に必要だと思うけど、、。 挨拶ができる子が良い子で、出来ない子は悪い子。校則が守れる・服装がちゃんとしている子が良い子で、だらしない子は不良。これが現在の多くの教育者の基準。集団への強制の基準は社会と同じでなくてはならない(とりあえず、日本社会が不自由でも)。  

 では大人はどうかと言うと、一番の指導者である政治家と秘書。優れた秘書は政治家にすべてを聞かない。「この政治献金は領収書発行しますか?」「小分けにしますか?」とは絶対に聞かない。本来政治家の責任である汚い仕事を、自分でしたと言うのが秘書の役目。まさにアウンの呼吸、大物政治家の多くは「自分のした事は墓まで持って行く」と言っている。それも、自慢げに言う。それはいけないだろうに。強い集団の中では自分たちの世界しか見えない。役所の裏金問題もおんなじ。

 最近ようやく問題になってきた体罰問題。これは一般社会でおこなえば、単なる暴行・傷害事件。なぜ今まで続くのかと言うと、それは閉鎖された強い関係の集団であるから。その力が弱まってきたので、表ざたになってきた。強い関係の社会にはまだまだ隠れた体罰はある。DVもしかり。

 PTA・町内会も会社の組合・互助会も自由参加のはず、しかし逃げられない、今の日本人の多くは参加したくなくても断れない。そして自分もいやで抜けたいのにそう言えない人達が、より過激に<あの人達自分勝手・許さない>と叫ぶ。強制で無いのに強制になってしまう社会。
 学校で生徒指導部の役割は、体育教師が棒を持って生徒に、叩くぞーーと精神的圧力をかける物と決まっていた。これは校長の指示でも一般教師の要請でもない。アウンの呼吸・雰囲気。

 今まで書いた例は平和・戦争とは関係ないようで大有り。平和・平和と叫ぶ強い集団も闘争を起こす。思想ではない。究極は相手の主張に傍観できるかどうかの問題。主張は最後まで同じになることは無い。昔の人間のメンタリティーが今と同じなら、旧日本軍でおこなわれた事も想像できる。想像だけどね。一々都合の悪いことに、命令書を書くわけが無い。アウンの呼吸で処理された。そう思うのが今に繋がる日本社会の風習なのだから。また、日本の外交が苦手なのは当然。個の自立の無い政治家による、日本と言う強い集団に依存するだけの政策。その象徴が天皇・靖国。彼らは日本以外では生きてはいけない。

 国家は、日本もいずれ滅びる、それが歴史だ、。日本人としての僕は、世界の人と同じように日本人が生き残れば良い。







最終更新日  2013年08月24日 01時01分48秒
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2013年08月19日
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グルメは怖い
へ~~!マリオさん、今度は怖いの?

 そうなの。そうなんです。高そうな雰囲気が怖い。そうじゃなくて、豪華そうに店もテーブルも椅子も作るでしょう。そこに行くと。そこにいる客も自分も豪華になったような気がするでしょう、だから高いお金を払う。料理は雰囲気でおいしかったりする。おそろしい。愚かだ,○○だ!。まあ!そこまでは仕方が無いかもしれない、日本人は白人崇拝・外国の豪華と言う物に慣れてないから。
 しかし、そこの・その雰囲気に流されると言うのが気に入らない。雰囲気と言うのは自分もそこに入って作る物、成り立つ物。雰囲気の良い店に乱暴物が一人入っただけで、とたんに悪くなる。その逆で、店の親父が怒っていても、穏やかでお上品な人が入って行くと、とたんに居心地の良い店となる。

 つまり自分がその店に入ることで、その店の雰囲気が良くも悪くもなる。にもかかわらず、自分は雰囲気の受け手でしかない事に気づかない。自分の存在感がなし。そこに腹が立つ。
 パーティーやコンサートの客のノリの良さ・悪さは、来てくれた人が自分から楽しもうと思ってきてくれると最高になる。お金を払った分楽しさを貰おうと、思っているだけではしらけてしまう。

 そこで過度なる演出、ディズニーランド・結婚式・葬式、その他儀式、ぜ~~んぶ嫌いだ。雰囲気作り・演出がすごい。僕はこの演出に乗せられて行く、平気で乗せられて行く感覚がいやだ。生理的に演出され笑い・泣かされることの恐怖。作られた笑顔に、感じがいい店と言う人の感覚がたえられない、
 だれかが楽しそうにしているから楽しいのではない。自分が楽しいかどうかなのだ。楽しく演出されたとこで、楽しくなるな!感情操作・洗脳だろうに。大人なら自分の感覚を狂わせる物に、気を使わなくてはいかんだろうに。

 敗戦の直後、電車の中である人がこう言ったそうだ<知らぬ間に戦争が始まって、知らぬ間に戦争が終わった・負けていた>。電車の中の多くの客が納得したそうだ。戦争の愚かさを庶民の立場で語ったものらしい。

 違う!、それは違う!自分が戦争の雰囲気に無自覚にのったんだろうに!







最終更新日  2013年08月20日 00時36分32秒
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2013年08月18日
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グルメの恐怖 関本マリオ

 僕は飲食店をしています。だけど、グルメが大嫌いです。おいしい物を食べようと言うのは良いんですが、雑誌・テレビで紹介されると、必ず人は寄って行きます。新鮮な食材・高価な食材、手間をかけた料理、そんな物でおいしさが決まるのが気に入りません。古くて安くて簡単に、それでもお腹がすいて・気の会う仲間と食べれば、1食1万円のホテルのコース料理はみすぼらしい。

 食べる側の責任もあるのです。自分がどう感じるか・・。それを放棄してる。それが無い世界は、食べ物を与えられる世界。これは家畜です。
 食材や食べ物においしい・おいしくない確かにあります。でもそれは個々によって違うでしょ、。人がおいしくないと思っても実はおいしかったりします。そこに自分があるような気がします。人の意見で食べ物を判断してはならない。味覚は磨かれる物。人生も同じですね。
衣食住が豪華なほうが良いの?質素な方が歓びが多いと思いませんか?

 実はグルメ感覚のおかしさは、他にもある。フランスのミシュラン社がレストランの格付けをしている。星の数で価値を決める物だ。数年前から日本のレストラン・和食の店も格付けしている。和食の店が格付けされたと喜んでいるの聞いて、僕は唖然とする。
 フランス人の味覚は、日本人と違うだろう、外食の定義も違う。店のコンセプトも、料理人の立場も違う(実際すごく違う・ここでは触れない)。和食・日本人の文化も知らないで、どうして評価できるの。星をもらう方も、フランス人が上から目線で評価した物で、それで喜ぶとはプライドが無い。

 これはすべての日本人に言いたい。和食だけでなく、政治・産業・文化、日本人は他国からどう思われているか気になってしょうがないらしい。日本ほど気にする人達を知らない(アジア諸国はその傾向が強い・先進国と言われる国の国民はまず気にしない)。よく言われる<日本はもっと自信を持っても良い・日本文化は世界で評価されている>どうして、世界での評価・存在感が気になるのか?僕に言わせると<そんなことはどうでも良い>(少しは気になる)。

 肝心なのは日本ではなく<自分が世界でどう評価されるのか?>もしくは<自分がどう評価されようとかまわない>なのです。最高の車を作る会社が日本にあろうと、僕の会社ではない。日本の文化が立派でも、僕は三味線しかできない。逆の日本の政治が3流でも僕の責任は1億分の1、無いわけではないがその程度。日本人が世界で犯罪を犯しても、僕ではない。

 世界に行けば、日本の過去の責任も問われる、しかし自分の立場でしかものは言えないし、言わなければならない。そして、私が日本ではない。あなたも日本その物ではない。中国人が言おうが韓国人が・アメリカ人が、何を言おうが<僕の意見・価値・評価>でしかない。面と向かって、人と向かって話せば必ず通じる。 

 日本と言う集団・会社という集団・○○集団に自分の価値を見出す、すなわち自分自身に価値(プライド)を見つけないと言うことが、ひいては大きな闘争・戦争を引き起こす。
 話がずれるので簡単に、プライドとは、、<周りの人が反対しても・人が違うと言っても、親子が反対してでも、自分の考え・行動できるようなものが無いと持てない。人と同じ事をしていては持てない物>だどーーー!    







最終更新日  2013年08月19日 01時44分40秒
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2013年06月14日
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今日はおばさんの紹介です。

毎日元気にがんばっています。でもいつも暇なので、いつもリラックス。1371177101876.jpg404539_423251601089270_27635371_n.jpg







最終更新日  2013年06月14日 12時48分59秒
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天ぷらソーメン おいしい! お得です。 980円

ソーメン定食は650円。







最終更新日  2013年06月14日 12時42分04秒
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そば・うどんだけでなくカレーとか、コーヒーもあります。

花がいっぱい咲いています。オープンカフェでコーヒーでもどうぞ。1371176893272.jpg1371177061527.jpg







最終更新日  2013年06月14日 12時37分33秒
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