025258 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

●  MARITEN Homepage!  ●

● MARITEN Homepage! ●

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2009年04月13日
XML
カテゴリ:北朝鮮拉致問題
2009.3.26 会連続集会44・金賢姫氏と語ったこと p3/6

---(つづき)
■西岡 力氏のお話

面会があった日に韓国にいらしたホン先生がきょう会場にいらしているので、先生にも後ほどお話を伺いたいと思います。


★北朝鮮の証言の真実と嘘。
配布された資料に「1」,「2」,「3」とフェードがありますが、1は『忘れられない人』に書かれていたことが主だと思います。「2」、にある「コ・ヘオク」という名前について、北の言うことは皆嘘だと思っていたが、そうでないこともあることを認識しました。金賢姫氏も田口さんはコ・ヘオクと呼ばれていたと話していたので本当だったのだと解った。リ・ウネという名前との関係をもう少し聞きたかった。

北は田口さんについて、工作員が身分盗用を利用する対象者を1987年6月29日に宮崎県宮崎市青島海岸で本人(田口八重子さん)と会って、○○○に3日間なら観光に行きたいと意向を示したことから特殊工作員が身分を偽装するために連れてきたと言っています。当時、乳が張っていてそれを絞っていたという母親が、3日なら観光旅行に行きたいわと言ったと。それが北朝鮮の公式のいい触れでありまして、耕一郎さんはお母さんのことを覚えていないわけですよね。お母さんは自分を捨てていったと北朝鮮は言っているわけです。母親を奪っただけではなくて愛情までも踏みにじる、人格をも踏みにじるような人だと思っておりますけれども、本の上だけでなく、(直接金賢姫氏から当時の話を聞けたことで)八重子さんが耕一郎さんやお姉さんのことを愛していたのだということを確認できたことは大変意義あることだったと思います。

(金賢姫氏との面会は)母親との空白を埋めることでもあると耕一郎さんはおっしゃっていましたが、北朝鮮の酷い嘘だということが確認できたことはよかったと思います。
そして改めて北朝鮮の嘘の酷さに怒りを禁じえません。


★915病院について
915病院について、拉致被害者のための病院というような伝え方がされましたが、拉致被害者のみならず工作機関のための病院です。915というのも、日付からきています。何年かの9月15日に何かがあって名前としてつけられたということです。915病院は、金正日○○大学の若干南のほうにあり、工作員および教官が利用する病院です。蓮池さんたちや地村さんたちもそこを利用したそうです。

横田めぐみさんに関する一番はじめの情報は、915病院に入院していた安ヨンジュンさんではない、別の工作員からの情報によるものです。

今回新たにわかったことは、北朝鮮の出してきた情報にあった「コ・ヘオク」という名は本当に田口八重子さんにつけられた名前であり、北の出す情報全てが嘘ではなかったということです。


★3人の関係、消息について
「2」の、83年に田口八重子さんと(金賢姫氏が)別れてから何ヵ月か経ったあとに指導員により顔だけ会わせてもらったということですが、田口さんが金賢姫氏と別れるのが83年3月、そして金賢姫氏は83年の6月まで別の招待所でスッキと一緒に訓練を受けていたとのこと。そしてその年の7月から最初の海外実習に行くことになる。それから、顔を見たのが何ヵ月後ということは83年3月から6月の間?顔を見た状況がどこでどのような状況だったのか詳しく聞きたいところである。

「3」つめの85年1月について、スッキという人物が出てくるが、前々回でしたか、田口さんと金賢姫の問題を私がここでお話したときに、田口さんは金賢姫を教え、横田めぐみさんはスッキを教え、金賢姫とスッキは同じ時期に日本人に化ける教育、正確には日本人と中国人に化ける教育を受けさせられていた。日本人化教育と中国人化教育を、この2人は受けています。スッキがいつめぐみさんから教育を受けていたかは定かではないが、今回の面会で明らかになったのは、84年の年末にはたぶん一緒に居たということ。そしてここでもうひとつ明らかになったのは、めぐみさんとスッキだけが一緒にいたのではなくて、八重子さんも一緒にいたということ、3人が一緒にいたということです。

今までは、田口さんは金賢姫氏、めぐみさんはスッキ(の教育係)だと思っていたのですが、田口さんとめぐみさんが住んでいる招待所にスッキもいる。ということになっているわけです。で、色々と過去の情報を調べてみると、NHKや産経新聞が報道した内容によると、被害者が平壌の南にあるチュンハグンのチュンヨンジの招待所で、めぐみさんと八重子さんとスッキが一緒に暮らしているのを見たと言っているという証言が伝えられています。その証言と金賢姫氏の言っていた証言は合いますので、間違いないだろうと(思います)。電気事情が悪くて寒いところというのは、チュンハグンのチュンヨンジだと思われます。

地村さんは、その後チュンハグンチュンヨンジの招待所に79年11月に入る。蓮池さんは80年の9月に入る。そして田口さんとめぐみさんとスッキは、84年の12月に見られている。

田口さんは81年3月から83年3月まで金賢姫氏と暮らしていたわけですね。で、83年3月から84年末までどこにいたのか?金賢姫氏の証言は(自分が海外から)帰ってきたところ、年末に3人が一緒にいるのを見たということですから、いつから一緒に居たかということはわかっていません。84年の年末に3人(田口さん、めぐみさん、スッキ)で居たということだけは確認できたのですが、この3人がいつからそこにいたのか?いつまで居たのか?は不明です。しかしスッキは85年1月から、めぐみさんや田口さんと別れて金賢姫と合流していますから、85年1月にはすでに3人一緒に居なかったことは確かです。蓮池さん達は、いつからというのを知っているはずですし、もう少しそのへんのところ詳しく、チュンヨンジでどういうことがあったのか?(以下聞き取れず)

もう一回、スッキとめぐみさんの関係について言いますと、僕らは漠然と81年の3月から83年の3月まで、田口さんが金賢姫氏と暮らしていた時期に、めぐみさんも別なところで(スッキと)一対一で暮らしていたのではないかと思ったのですが、どうもそうではないらしい。そこも金賢姫に聞いてみないと解らないです。この3人で暮らしていた時期はめぐみさんがスッキに教えていた時期なのか、それ以前にもあったのかなかったのか?

金賢姫の前の本によると、81年3月から83年3月に金賢姫が日本人化教育を受けた時、スッキは金正日○○○○で工作員の教育を受けていたと、だから私は嫉妬されたと書いてあります。そのへんのことも嘘じゃないと思うのですが。スッキと金賢姫は80年から一緒に行動していまして、スッキと金賢姫が別れるのは2回しかない。81年3月から83年3月。金賢姫が田口さんと会っていたときの20ヶ月別れている。それから84年の7月から12月まで。金賢姫が最初の海外実習に行ったときも別れている。私は前者のほうでめぐみさんに付いていたと思うのですが、今回の証言で後者かと思う。(少なくとも)84年末に会ったというピンポイントだけは明らかになった。いつから(一緒にいたのか)ということは明らかになっていないので、めぐみさんのポラロイド写真を見せてもらったとか、めぐみさんが一緒にいるとき入院したとか、そういう話を(金賢姫が)スッキから聞いたと言っていますが、それはいつ聞いたのか、(それが解れば)その写真がいつの写真で、めぐみさんが入院していたのはいつのことなのか、解ると思う。
もうちょっと色々と聞きたいなと思う。ただ、ヒントになることは沢山あったと思う。


★田口八重子さん生存説の裏づけ
そして87年1月から、(金賢姫氏が)マカオから帰ってきて、2月、10月のときに招待所に生活していた運転手に聞いたという話ですが、北朝鮮は86年の7月に田口さんは死亡したと発表しています。だからこの時期が微妙な時期なわけです。死亡したと発表した時期の話である。で、87年2月から3月頃、運転手から田口さんがどこかへ連れて行かれたと言っているわけですけれど、それがいつなのか、86年の7月以後であれば死亡の時期に生きていたという証明になるわけで、そのことについて金賢姫氏が運転手からどういうふうに聞いているのか、そこのところをもう少し具体的に聞きたいところです。

帰国した被害者の証言によると、田口さんは86年の春に腰の痛みで入院していると。で、めぐみさんはそこで田口さんと一緒に暮らしていたのがひとりになってしまった、そのあと韓国人拉致被害者の○○○さんがめぐみさんの招待所に顔を見せるようになり、そのあと2人は恋愛して結婚したといえば繋がりますが、田口さんについて言うと、86年春の入院と、86年7月に北朝鮮の死亡説と、○○○○○ 時期の関係をはっきりすることで北朝鮮の説を覆すことに成り得るのではと思います。


★田口八重子さんの「結婚」について
それから、86年に拉致被害者たちが結婚させられたということ、「田口さんが」ではなくて、拉致被害者たちが、ということです。これは記者会見でも彼女は話していますね。テレビの字幕では86年に田口さんが結婚させられたというように翻訳され、見ていた人はそのまま理解したかもしれないが、韓国語を聞いていると“「結婚たちを」させられた”
とあり、主語を省略して目的語を複数形にする韓国語の特徴から判断すると、「拉致被害者たちが結婚させられた、と聞いた」ということであり、田口さんが、とは言っていません。で、その「たち」の中に中国人もはいっていたようです。実は中国人拉致被害者については、金賢姫さんは飯塚さんに会う直前に月刊朝鮮の○○○さんに新しい証言をしていたわけです。つまり、84年の5月から6月に、中国から拉致された○○さんから中国語を習った。マカオから拉致された中国人被害者も教官をさせられていたことが解った。結婚させられた被害者がこの○○さんであるか否かは確定できないが、そこも金賢姫氏に聞いてみたい。
マカオから2人拉致されたという話がある。
○○○○(人名が続くので読み取りにくいところが多々あり省略)

2009.3.26 会連続集会44・金賢姫氏と語ったこと p4/6 につづく





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年04月13日 14時09分59秒
コメント(0) | コメントを書く


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

heartpia

heartpia

お気に入りブログ

コメント新着

パーマン@ Re:虐殺犯人は大久保雄路(21)(05/22) 未だに憤りを覚えます。この事件。犯人は…
海のくまさん@ チン型取られちゃったw <small> <a href="http://onaona.mogmog…
ドライブ好き@ 風呂入るのメンドクサイ! <small> <a href="http://feti.findeath…
チリチリ@ 次は庭で全裸予定w <small> <a href="http://kuri.backblac…
地蔵@ 驚きのショックプライスw コウちゃんがこないだ教えてくれたやつ、…

フリーページ


© Rakuten Group, Inc.
X