毎朝
毎朝神棚に若水と濁り酒を捧げ、祝詞を称えて柏手を打ち祈ります。日々神様と相対している感覚があります。神様は形式を尊び、人の敬意というものを善しとする存在です。御仏は何もせず何も言わなくてもそばにいてくださる在り難い存在です。 神様と仏様ではそれだけ対応手法が異なると私は勝手に考えています。もちろん神様を優位に考えているとかと言うことは全くありません。扱う形が違うということです。 神仏に向き合うことで人の心というか魂というものが鍛えられていくような気がします。心を落ち着かせる形式が段々と視えてきます。すると心の在り様というものに現実の世界が影響を受けている割合というものが分かってきます。物事を為そうとしたときに心をどのような状態に持っていけば良いかがわかるようになっていきます。 心という目には見えないものが現実世界という目に見えるものを絶対的に支配しているのだと言うことが少しずつ分かってきています。現実世界を自分の思うようにしたいと思うのなら、まず心をコントロールする方法を学ぶべきであって、それは神仏と向き合うことで知っていくものなのだろうと思っています。 毎朝365日神棚に手を合わす。それが心を、現実をコントロールする第一歩。