テーマ:生涯学習(269)
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金曜日は赤坂恒明先生の「キプチャク汗国の歴史」のオンライン授業でございます♪ 最終回の今日のお題は「モスコヴィアによるシベリア汗国の併合」。 【備忘録】 1)コサックは逃亡者たちが作った集団 2)オン・ハン(ケレイト)はチンギス汗の前の世代なのでハンを名乗っている 3)ベク=ビー(ハンを名乗れない王) 4)アブルーハイル汗の後継者が「ぼんくら」だったので遊牧ウズベク国家は消滅 5)シャイバーニ―はムガール朝のバートルの終生のライバル 6)南北交易路=北の毛皮を南に運ぶ 7)シビル汗国: シベリア、後にイスラム教を広める=シベリア・タタール 8)「東に残ったマジャール人」=ハント人、マンシー人 同じ言語系統 9)使者が文字の読み書きが出来ず、署名が出来なかった 10)ストロガノフ家は豪商:シベリアへの軍事活動 11)モスクワはタタールの王侯・貴族を優遇:マメトクル、セイデャク 12)「キプチャク汗国」史の総括 ・Wikipedia ジュチウルス、世界史の窓 ジュチウルスは間違った使い方 ・今ハン国と表記するが、汗国=Khanateの邦訳 ① モンゴル帝国での位置付け イル汗国との衝突、ベルケがイスラム教徒である事が主因 アラブの資料「キプチャク人そっくりになってしまった」 モンゴル帝国の変容の先頭を切った ② 言語的なキプチャク・トゥルク化を促進し民族構成に大きな影響を与えた ③ マムルーク朝へマムルークを大量供給:イル汗国のエジプトへの浸透を防止 ④ ロシアの勃興を陰で支えた。「タタールの軛」と言う圧政だけではない 13)キプチャク汗国は騎馬遊牧民の政権 ・ヨーロッパには古代巨大な遊牧民族の帝国(スキタイ)があった ・西ユーラシアでキプチャク汗国は最後の遊牧民「帝国」 (続く)
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最終更新日
July 13, 2024 04:54:40 PM
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