テーマ:生涯学習(354)
カテゴリ:カテゴリ未分類
4月の第一週は早稲田エクステンションセンターの春学期の授業開始が相次ぎます♪ 火曜日午前は、家庭の事情で半期お休みされていた石見先生の「古典と出土資料の中国古代史」でございます ( ̄ー ̄)ニヤリ 第一回目の授業は「甲骨文字から見た殷という国」。 本当は甲骨文字よりは注釈のついた史記の原文の読解なんかが良いんですが、まぁ生徒層の問題(=中国語や漢文の読解能力の問題 ^^)もありますので、これは致し方無い ( ̄▽ ̄) ![]() 【備忘録】 1)殷:「商」と自称した。紀元前16世紀~前11世紀... って昔過ぎる! 2)「夏」は文字資料は見つかっていない 3)殷も2/3くらい過ぎないと同時代史料が現れない 4)殷時代の城壁址:鄭州、偃師、商丘等。この辺が中原なんだなぁ~♪ 5)殷の王統が記された甲骨文が、司馬遷「史記」殷本紀の王統と一致。 6)鄭州城壁は一辺が3Km(西安は8Km) 7)開封(かいほう)、封建(ほうけん)=封は土地なので後者は「ふう」 8)添付の地図の地名表記が「チョンチョウ(鄭州)」となっており先生は批判! 9)二里頭の夏時代の遺跡は「南面」、安陽の遺跡は「東向き」 10)殉葬の後=首が斬り落とされている 11)邑:壁で囲まれている中に人が跪いている様=城壁都市 12)十干の最後の日「癸」に次ぎの旬(10日間)を卜した 13)甲子(きのえね)は兄弟(えと)から「え」が来ている 14)釈文(しゃくもん) 15)数字は「数え」で数える 16)甲骨文字は、西周時代の特徴である金石文から、宋代に解読された 一片の甲骨文字の記された甲骨(と言うべきなのだろうか?)から「幾つかの支配地を有する在地の有力者と君臣関係を結んでいる」こと、ならびに「上記支配関係に入らない勢力が存在し略奪等があった」ことが分かり、当時の社会が「点(邑)と線(宗教権威)の社会である事が知れると言うのは、本当に凄い事である! 紀元前10世紀とかの大昔に、今でも使われている十干十二支があったと言うのも大いなる驚きでありました ( ̄▽ ̄) ![]() ![]() お昼は東西線落合駅で途中下車をして、トルコ料理「バルシュ」にお邪魔して参りました。 落合とか中井とかにはトルコ料理など西アジア系のレストランの開店が結構相次ぎ、かなりの頻度で短期間で閉店してしまうと言うのが繰り返されており、多分、なんらかの原因が存在するものと推測される所でございます(=幾つか想定は思いつきますが、敢えて書かず ^^) ランチメニューは、ケバブ関連でサンドイッチ、ラップ、ライスと言うラインナップの外、ベジタブルサンドイッチ、六平、本日のランチ(が何だったのか忘れてしまった ^^)の6種類でございます。 ケバブではレストランと銘打つお店に来た甲斐も無いので、煮込み料理+ライスの「ムサカ」をお願いした親父でございます。 しっかり作られていて美味しいっす♪ ![]() ![]() 食後にデザートセット@400円を奢りまして(^^)、紅茶とバクラヴァを楽しみます。トルコもちょいと甘めではありますが、デザート大国なんですよね♪ お店は落合駅1番出口を地上に出て、右手数軒目と言う近さでございます。 帰路はぶらぶら東中野まで歩いて行こうと思いますと、広い歩道の並木には、薄緑色の若葉が萌え出て春の色が濃い良いお散歩道でありました。気持ちいいなぁと思っておりますと、あっという間に東中野に到着です。これも近い!
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
April 23, 2025 09:08:38 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|