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カテゴリ:日常
資格試験のことで勉強法などを相談したくなったため、先生の研究室を訪ねた。
授業のちょうど終わった後で後輩ののっぽ君がいた。先生はもう一人の学生となにやら翻訳文の相談を受けていた。少々、のっぽ君と雑談して待つ。 しばらくして2人が退室。先生と二人きりになる。 ここからが大変。私は先生を尊敬し、だからこそ修士まで喰らいついてきた。先生と知り合ってもう7年目になる。研究室には用事があれば訪れる事ができる。 それなりに話もできる。しかしながら、いつも一対一緊張する。恐れているのだ。自分でも不思議。 先生に対する感情は尊敬というより、畏敬に近いのかもしれない。 「この本読みましたよ。面白かったです…。」 「そうかい。」 「図書館にありまして……。」 「…。」 沈黙が嫌だから話を切り出す。しかし先生の興味はそこにはない。無言によって話に興味の無い事を示している。 無言。この使い方が上手い。それもプレッシャーの原因だろう。 ようやく、関心の向いている部分に気づく。先生は主に私の修論のテーマについて議論をして煮詰めたいらしい。 しばらくそれをテーマに会話。色々と助言、アドバイスを貰う。 一段落して、 「この前貸した本は如何でしたか?」 「あー、あれね。作者はお父さんの事をモデルにしたんだろう?分かっちゃいないね。これなら以前見たDOの方がよかったよ。」 心が重くなった。そうだ。自分の嗜好で薦めたものはいつも批評されるのだ。しかも痛烈に。先生が私の薦めたもので満足した事は一度だって無い。 しかしながら逆に先生の薦めてくるものははずれが無い。いつも内容があり、面白い。 そう、要するに全く歯が立たないのだ。 今まで他の教授たちであれば、必ず底がが見える。相手の考え、思考方法、そして欠点を見出し、思うように振舞えるようになる。 しかし、先生は全く底が見えない。長い付き合いであるが、ぼろを出さない。 それが先生の存在に威圧感さえ覚える原因だろう。要するに把握できていないのだ。 他の人はというとそうではない。皆、普通に接し、ざっくばらんに話している。私も表面上はできるようになった。しかし、心の重さは消えない。 「今、試験の相談をする事は適当でない。見下されてしまうぞ。」 自分の虚栄が語りかけてくる。 「…では先ほど言われた点をゼミまでに考察しておきますね。…失礼しました。」 今日も例にもれずぎこちなく退出した。潮時だと感じたからだ。話すつもりなら煙草をもう一本取り、厭きていると吸わなくなる。そこでいつもおおよその潮時を判断している。 これを世に言う「男惚れ」という奴なのだろうか。例えば秀吉が信長に、プラトンがソクラテスに、子路が孔子に惚れ込んだようなものなのだろうか。そんな偉人と違い、ちっぽけな存在だけど。よく分からない。 先生が自分の目標になってもう6年以上経つ。未だにどこに果てがあるのか検討もつかない。今日も徹夜かな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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