2010/09/08(水)00:26
感想『ローマ人の物語39キリストの勝利<中>』
塩野七生著『ローマ人の物語39キリストの勝利』読了。
背教者ユリアヌス。
もともとキリスト教を信仰していなかったんだから、背くも何もない。ただ親族がキリスト教振興政策を行っただけでそうなっている。と作者は述べる。
背教者という響きは新鮮だ。正義のお話をする道徳論者に敵視されることは、なんだか逆に正しいことをいっているような気がしてきてしまう響きをもつ。
キリスト教信者より投げつけられた蔑称。
キリスト教信仰者なのに、家族を殺したコンスタンティウス、内輪もめが好きなキリスト教の司教たち、そのようなものをみてキリスト教が正しい道を導くとは考えられなかっただろう。
その中で、幼少期の素養にあったギリシャ・ローマ哲学に立地点をもとめるのも理解できないことはない。
読んでいて、この人から三国時代の蜀の劉備を想起させた。
ならば、フラヴィウス・サルティウスがさながち諸葛孔明になるのかな。少し過大評価しすぎか。
そう感じたのはユリアヌスがペルシア戦役中に死んだこと、回帰を旗印としたこと。
まあ、実際、かなりの点では異なるから比較にならない。
しかし時代の流れに逆らってよい時代と思われる方向に路線転換しようとすると、必ずと言っていいほど押し流される。
キリスト教は抱えなくても言いような聖職者という新たな特権階級を生み、皇帝は民衆が選んだのではなく、神が選んだ。神意の代表が皇帝であるとする権威づけ。人間からの権利の剥奪。
漢王朝復興を掲げた劉備。でも時代は漢王朝に流れていなかった?
う~ん、ここら辺は思索の詰めが不十分だな。
劉備は何かの宗教に対抗した訳ではない。彼は天下を平定するために漢王朝復興を旗印に下に過ぎない。
かなり、やはり異なるな。
その他に、個人的に同世代という事からか、非常に興味が沸いた。好感と親近感を感じた。
自分とはまったく似てないんだけれども。
6歳まで皇族として育てられるが、父親が誅殺され、突如、幽閉生活。その後、少しの自由が許され、哲学を学ぶ。本人はそれに満足していたのだろうが、兄が殺され、時代の流れは彼を副帝にした。正帝コンスタンティウスは止むをえない選択として彼を副帝にしたので、冷遇。しかし、ユリアヌスはガリアで蛮族討伐に成果をあげる。その後、周囲に推されて正帝に。あわや内戦とのところで、回避され、その後一年半の帝国統治に奔走。その中で、謀殺される。
読み取った彼の一生を要約するとこんな感じか。
共感できるのは兄がいたこと。哲学が好き(いや、でも私が好きなのは文学か)なところかな。
以上が読後の感想。
ローマ人の物語(39)