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小学生から高校生までやっていた空手を離れて、組み技に興味を持ったのは18のときだった。
いかんせんいささかにぎやか目な中学校と荒廃した高校に居たので、空手を使用する機会は何度かあった。今ほど子供たちに空手が浸透してる時代では無かったので、空手といえば私、私と言えば空手という印象さえ広まっていた。 元気のありあまった連中に襲い掛かられた時に役立ったのは、とにかく打たれ強さだった。 普段から当てられることに慣れているのといないのでは雲泥の差がある。いかんせん元来いくらか神経が鈍いので、かわすことは苦手だった。そういう運動神経では、野球やサッカーをやってる人間にはかなわない。 けれども、食らった後の反応からはこっちのものだった。殴られてもまったく効かない。慌てず騒がず打ち返しを放てる。そもそもが向こうが当てた間合いだ、こっちも打てば当たる。 そうなれば拳の使い方の差が出る。なんとなく指を握って力いっぱい振り回すだけのパンチよりも、きちんとした正拳の重みが活用できるほうがずっと効果的だ。いわば不平等なトレードが発生となる。となると、打たれなれてない相手はもう想像外の痛さに泡くってそのままダダ崩れになる。 殴られたまま無表情に打ち返し一撃で撃退するスタイルから、ターミネーターなんて呼ばれたりもした。 ちなみに、後にグローブ空手で同じことをやっていた青年はジェイソンと呼ばれていた。イメージがだいぶ違う。 しかし、そのターミネーターには致命的な欠点があった。確かに相手は一撃でやっつけられるのだけれど、あくまで初撃の重さのみ。本当に相手をダウンさせて動けなくするようなことは一度も無かった。 痛みのあまりに戦意喪失をさせられるのだけれど、そのまま走って逃げられたり、うずくまられて仕留めそこなうようなことばかり繰り返していた。頭を抱えて膝を立てて座り込まれると、見事なまでに有効な攻撃部位が狙えなくなってしまうのだ。 学生同士の喧嘩にありがちな、怒鳴り声を上げながら走っていって掴みかかる、あるいはランニングパンチ、ないし飛び蹴り、そんなシチュエーションでのイニシアチブを制するような、そんな効果しかなかった。 当時、UWFと言うのが流行っていた。今の総合格闘技に繋がるプロレスからのムーヴメントだ。 そこでは華麗な蹴りと複雑な関節技がフィーチャーされていた。 これは関節技だな。そして私も最強になりたい。ハイティーンの私はもろに影響を受けてころりとそう思った。時代はとにかく、総合、だったのだ。 そのころ近くにシューティングとシュート・ボクシングのジムがあった。そのどちらかに入門するつもりでいた。 見学に言ったりもしたのだが、どうもしっくりこなかった。 おそらく、私がなじんでいた「武」という感覚がそこには無かったからだ。 シューティングもシュート・ボクシングも、ハードなスポーツという印象はあったけれども、本当の戦いを想定しているようには思えなかった。 当時の私が思っている強さというのは、リングの中でのF-1的な強さではなくて、あくまで本当の戦いを目的とした、戦車の性能だったのだ。 そこで私は、某国の軍隊で採用されているという格技に入門をしたのだった。 当時発売されたその格技のビデオには、練習をする私の姿が収録されている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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