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火の治療(苦悩するやいと屋)

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精神と身体

2017年10月25日
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カテゴリ:精神と身体

秋が深まると、狩猟が始まります。その季節に合わせて、山の斜面や崖を犬と共に猪を追いかけられるように、老猟師は身体を創ります。

都会育ちの私には想像すら難しい世界です。そんな灸師に腰と坐骨神経のメンテナンスに訪れます。

 ゆっくりと治療する時間に、無くなった妻の話、息子の嫁の話、猟犬の話、昨年の猪の話等の物語を二週や三週に渡り話し続けます。


そんな中不思議な話がありました。

 山に入る時は何時もお山の神様に「お世話になります、お山の猪を頂きます」とお願いします。そして猟犬を伴い山に入ります。

 犬が勝手に猪の臭いを負い始めると理由のない特別な感覚に襲われるそうです。

 山が動くと言うか、木々の葉が一斉に動くような感覚です。

 別に風が吹いて木々が揺れるのでは無く、自分の気と山の気が合わさる様な感覚です。その感覚が起こった日には必ず猪が獲れるそうです。

その話を聞いて身震いを致しました。実は私も同じ感覚で治る人が判るのです。

 山の気では無いが、何となくです「ああ、この人は治ると」確信めいた実感が起きます。

またお灸のツボや治療箇所、臓腑の陰陽等を「ここですよ、これですよ」と教えてくれる気もあります。


 「ご両親と祖父祖母が頭を下げて頼むから、治して上げないと申し訳ないですね」と自然に言葉がでた経験があります。

 
言霊と言いましょうか「気」呼ぶものでしょうか、科学的には「気とは」空気みたいな物ですが、精神的な面や心の状況も「気」という言葉で置き換える事があります。


 気持ち良い、気が塞ぐ、気違い、気晴らし、気が付く、気力が無い、気を感じる等です。


 我々鍼灸師は、気を感じる行為を大切に致します。皮膚の表面、顔色、舌色、筋肉の張り具合等から、その人の生活や環境を類推します。

その事が猟師の「山が動く」の気と同じく、心の精進が気を感じる力を増して居るのでしょう。








Last updated  2017年10月26日 10時31分28秒
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2012年09月20日
カテゴリ:精神と身体
治療を行う場合に最も重要な事は、正しい症状又は状況の把握です。
師匠は「聞こえない声を聴け」と教えました。

「聞こえない声は、聞こえない」と
その後、30数年の治療師をして参りました。
今やっと、「聞こえない声」の存在が解る様になりました。

人と人の間を人間と言います。
その間には、表現と認知もしくは理解と言う作業があります。

患者さんは表現、言葉による症状の訴えです。
痛みは、数字になりません、場所も正確に表現すると難しい作業です。
その為、心を砕きながら、心配しながらの表現です。
言葉の意味するところをしっかりと聞く事が大切です。

治療師は、理解、認知です。
「言葉に出来難い症状を正しく理解する」能力が必要です。
三叉神経痛の患者さんの奥歯を2本も抜いた歯科医もおります。
ご自分の甘さから「正しい症状」を把握できなかった事件です。

「聞こえない声」とは、心の声であり、身体の声です。
もの言わず、語る事をしない世界。
皮膚上の気の世界であり、想いの世界の声です。

でも、感じる事は出来るのです。
そして感じて受け取る必要があるのです。

「なんと、気の利かない」「気配りがない」
「気が付かない}等の言葉は此処からきています。

治療師にとって都合の良い言葉は、よく響きます。
でも、嫌な言葉や自信無い症状のお話は聞こえません。
耳は自動的に「雑音消去」をします。
不必要な音を消去して、重要な音を拾う行為です。
それは心が自動的に行う「言葉消去」です。

「治せないで治療費を請求するのは、詐欺行為だ」と

治療師は心で言葉の消去して聞こえず、文句に切り替えます。
患者さんは、有り難いお話だと良く聞こえ心に響きます。

師匠の「聞こえない声を聴け」の言葉を
治療師として「思いを大切に受け取るように聴け」と自分に念じます。

「患者さんの言い分を聞いていない」
「患者さんの想いを自分の心に響かせていない」そんな間違いだらけの中。
今日もひとつ聴かせて頂けたと有り難い治療師生活の中にいます。






Last updated  2017年10月25日 10時27分31秒
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2012年01月04日
カテゴリ:精神と身体
何時まで海を越えると良いのだろうか。

 北風の強い東シナ海を越える。

 17歳の時に海を渡って就職、その年に親友が亡くなった。

 夏の白い雲と青い海をお盆に渡る。
島の海
 友と先祖のお墓参りが続いた、7年目からは記憶が乏しい。

 鍼灸学校に入学、3年ほど海は遠かった。

 私の仕事が見たいと言う父、年に数回海を渡った。

 父は納得できたのだろうか、親戚一同の治療に通う。

 やがて父死去、幾度も海を越えた。

 静かになった我が里に母独りの正月は寂しかろうと、

 還暦を越えた今年もまた里帰り・・・

 孫も帰れない、我が家の正月です。

 後、幾度あの群青の海を渡るのだろうか。






Last updated  2017年10月25日 10時28分10秒
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2011年12月06日
カテゴリ:精神と身体

 人生を良く考えると、物々交換だなぁと感じる。
世に言う「飲む・打つ・買う」を考えても、酒飲みは、命との交換、
ばくち打ちは、家族の幸せな生活と交換、好色は人生と交換です。

 食べ過ぎは、肥満や糖尿病を生み、みっともなさや病気と交換、
楽な事ばかりを考える者は、周囲の信用や経済力を失う、
また、あまりにも金銭や経済のみを追求すると友達や家族を失ってしまいます。
例え形としての家族の形態は成していても、中味が消失しまいます。



 人は色々な面において、何かと交換をしながら生きているのです。
でも、お金で解決できる方法は少ないようです。

運動が嫌いなものが健康を失う、食べ過ぎて健康を失う。働き過ぎで健康を失う。
飲み過ぎて健康を失う、お金を出して解決する問題は、何ひとつ無い。

師曰く「神様を信じるな、神様に信用して戴ける心を育てろ」と習いました、
信仰とは、正しい物々交換が出来る心と智恵を育てる所なのかも。







Last updated  2017年10月25日 10時32分25秒
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2011年03月01日
カテゴリ:精神と身体
縁があったのでしょう。
 私は良い縁に恵まれました。

 結婚する事になりました。
 一流の会社に勤める事になりました。
 「良いご縁ですね」と

 交通事故に遭い亡くなられる方。
 お金を融資し、結果遺体で発見されました。
 最近のニュースです、「運が悪かった」と

 さて、良い事は『縁』と表現し、悪い事は『運』と表現します。
 縁と運、つまり縁起と運気とは、良し悪しで別けて使われています。

 「縁が良かった、運が悪かった」です。
 例えると、家や物を買った時に「今回は良い買い物だった、又は悪い物を掴まされた」等と同じ使い分けをします。
 
 さて、縁や運の実態は良いものと悪いものなのですか。
 運が良かったとも使い、又縁が悪かったとも使います。
 
 縁の本来的意味は『繋がり』です。
 日本人は本来農耕民族です。農耕民族は団体で作業を行ないます。
 特に『結い』と言う助け合いの制度は素晴らしいものです。

 団体責任や周囲による個人管理を強める制度5人衆などが行なわれ、家と言う家族管理制度が作られ、個人の権利が消失した時代がありました。
 
 その事から、少しでも家族や地域を守りたい関係で『縁組』と言われる力や能力を測る事を行ないました。




 しかし、本来存在している「縁」は違うのです。
 「縁」も時代と共に変化をします、現在存在している「縁」は個人的なものと考えます。
 「縁繋がり」と申しますが、見えない個人的評価の団体があると考えてください。

 アメリカ合衆国の中での黒人と白人のあり方に似ています。
 総て平等ですが、妙に相容れないふしぎな存在(心的感情)があります。
 縁も同じく別の縁繋がりの団体とは相容れない関係が生じます。

 「私は幸せには成れないのでしょうか」と質問されます。
 仕事も恋人も、妙にうまく行かない、何か途中で引っかかりが生じる。
 『運』が悪いのだろうかと言われる方もいます。
 
 でもこの場合は『縁』と申しましょう。
 何も特別な努力無しで、幸せな結婚をされる方もいらっしゃるでしょう。
 美男子でも無く、美人でもないのに、逆に美男子や美人で婚期を失っている方の方が多いでしょう。
 この状況を『縁が悪い』と申します。

 では「縁」を良くする方法をひとつ挙げるとします。
 それは「縁」を大切にされる事でしょう。
 「大切」にされると喜びます、有り難く感じます。
 そんな喜(よろこ)びの中から、ほんものの慶(よろこ)びが生じてきます。
 そしてその状況を悦(よろこ)ぶのです。

 『縁』とは繋がり、あなたは何と繋がり、何を大切にしていますか。

 次回は運気について






Last updated  2017年10月25日 10時36分44秒
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2011年02月05日
カテゴリ:精神と身体
人(私を含む)は、信頼をされると実力以上の力を発揮する。
 人は信頼されていると感じると、信頼している人の為に力を惜しまない。
 人は心で想いそして感じる。

 理由は解りました、それでは自分の伴侶や子供に対して、
 私はあなたを信頼していますと言うメッセージを送っていますか。
 
 そう、心の底から「そう想い送る」
 それだけで良いのです。
 
 この事をパワーを送ると言います。




 さて、よく心を落ち着かせて、そしてどうでしょう。
 送れる時もある。
 嫌な時もあるから、その時は無理だな。
 純粋な気持ちでは、中々送れない。
 等の言い訳が出できませんか。

 その通り、その通りなのです。
 人(私を含む)は何処までも、完成できない存在なのです。
 ですから、前回の何もできなかった。・・・・です。

 私は時々「お灸治療に助けられたのですよ」と言います。
 講演でも、又弟子たちにもそして「治療室の中で患者さんにも」
 間違いが無い、真実ですから・・・
 そう申し上げているのです。

 何もできない私、何もできなかった私は。
 ひとつだけ・・・
 そうひとつだけできる事がありました。

 それは人を信じる事、人を疑わない事、そして騙される事に不安が無い事です。
 簡単に言えば「人が好き」だったのです。

 色々なところで人と楽しく飲んでまいりました。
 楽しい酒をたくさん頂いて来ました。
 この件に関しては、古い友人も「その通りだ」と納得するでしょう。

 自分に自信が無い時は「友と酒を飲む」ふしぎと翌日は仕事が忙しい。
 治療に自信が無い時は「患者さんの話を聞きます」
 たくさんたくさん聞きます、来ない患者さんに電話して聞きます。
 ふしぎに又忙しくなるのです。

 この話を聞いて、又想われたでしょう。
 私はできない、絶対できないと・・・
 そして、疑ったでしょう。
 この人はこんな事書いてるけど、きっと相当なツボの勉強をした人だ・・とか
 (弟子達には、そう言う嘘を付いた事はたくさんあります)

 初めに申したとおり、何もしなかった、そして何もできなかった。
 只、人が好きで人の話をよく聞いた。
 そして、楽しいお酒を飲みました。
 それが、今の私の環境を作っています。

 恐らく、私の裏まで見ている人々は「本当じゃが、間違いの無いところ」と

 まとめです。
 人を大切にしようと心の中から想い、楽しく人と付き合います。
 そして、あなたを信頼している事をお話を聞きながら伝えます。
 そう、それだけで治療家の名人ができちゃったのです。

 でも、もうひとつ大切な事があります。
 それは、いつも、どんな時でもと言うことです。

 つまり、どこからメゲナイ パワーを得るのかと言う事です。
 
 この事は次回に






Last updated  2017年10月25日 10時38分25秒
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2011年02月04日
カテゴリ:精神と身体
この世には、確かな事は何も無い。
 絶対と言う正義も、確かな理論も存在しない。

 もし、絶対と言う存在があるなら、それがこの世を支配し人々を幸せに導く事ができる筈である。
 
 でも、金銭や貴金属や相場そして政治も決して人々を幸せにはしていない。
 逆に不幸にした一面を拭えないのである。

 では、何が確かな物で、人生では何を求め何を行なえば良いのか。
 (その答え探しを60年行なってきた感がある)


 私も人も、その答えを宗教や政治に求めた。
 しかしその答えは、必ずしも正しい結論を導いた訳では無い。
 途中で理想が変質したり、組織である故に仲介者の横暴や我欲で朽ちてしまっている。

 また、金銭や名誉や状況欲に絡まれて、夢や希望を失った者も数多く物語られる。
 この表現は総てが悪く想われ悪く聞こえるがその通りで絶対的真実には出逢っていない。
 
 印刷した紙幣と金やダイヤを比較する者は、金やダイヤ方が絶対だと言う。
 それは相場の信頼が失せた不況による、新たな感覚でしょう。

 ダイヤと言う代物も、これを貴重と想う心の価値感が価値たらしめた。
 では改めて、ダイヤは貴重な存在か。
 確かに一番硬い鉱物である事に変わりは無いが、ガラスが切れるだけでは、豊かさの象徴の価値観には成り得ない。
 絶対量が少ない、希少価値でダイヤの価値を高めたとは言えない。
 では光そして輝いていたから、ダイヤは貴重な価値観が確立できたのか。

 そんな事に思考を廻らせ「ふと」価値感の基はと・・・問うて見た。
 「感じそして想う事」この事が色々な価値感覚を生む。
 そして、間違いも生じる。

 例えば、
 愛を感じそう想った・・・でも現実は違った。
 恋は破れ、自身は傷ついた。

 これは絶対と感じ、儲かると想い投資した。
 投資者の多くはそう想わなかった。
 結果、相場は下がり、大きな損失を蒙った。

 では
 私ですが、私は何もしなかった。
 そう何も出来なかったのです。

 しかしその私が、多くの患者に追い回され、今憩える場所が欲しと・・・
 贅沢にも逃避場所を探している。

 何も出来なかった私の所に、弟子達が集まり、そして、師匠と呼ばれ、その事が総じて又患者が集まる。
 
 なぜでしょう。
 
 私は何もしていないし、何もできなかったのです。
 弟子達には、あれこれ言って指示している割に、努力など全くしていないのである。

 それでも、多くの人々が治療に押し寄せる。
 縁、縁なのでしょうか。

 次回に続く






Last updated  2017年10月25日 10時39分53秒
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2010年07月30日
カテゴリ:精神と身体
「自信とは、私独りの原点の力」

「私は選ばれた特別な者である」と人は皆、自分を過大評価をしたい
心をその奥に持っているらしい。

又、自分や家族その伴侶を特別視する、心も存在するらしい。
私の母は、94歳で亡くなった父を早死にしたと思っている。
どうも「人は死んではならない又は死なない」と
不死の特別観念も有るらしい。

そんな、自分主義の固定観念が作り出す世界が現代社会なのだろうか。
私は幸せになる権利を持っている。
又は、自由で遊べる人生を送れる。
他人の権利を自由に侵して居るにも関わらず、
自分の権利や自由が侵されると腹を立てている。





どうも、自他(自分と他人)の関係が理解できていないようです。
自分の子供への虐待や育児放棄
公共の物の破壊
中には、子供の給食費を払わない親もいる。

自信とは、他人が創るものでは無い。
他人との競争で勝ち得たものが持つものでも無い。
まして、自分の妄想で得るものでも無い。

自分の生き方を自分で承認する。
甘い承認では無い、自分がこれで善いと、
納得できる次元、そんな次元がある。

そこに立つと見える。
私の心、
「私独りの原点の力」と言う想いに、出逢って見たい。






Last updated  2017年10月25日 10時44分54秒
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2010年03月29日
カテゴリ:精神と身体
映らない写真、ピンボケした写真は見向きもしない。
カメラのデーターが足りないと映らなくなります。
その時、データーの少ない撮影に切り変えます。
荒っぽいボケた写真なら撮れます。


大切なお話を聞くべき時に、ピンボケした聞き方をする。
しっかりとお話の中身を聞き取る仕事をすべき時に、
自分の力量や技術をホノメカ〔宣伝〕し、大切な話を聞き込めない。


話の中味が受け取れない。
治療者として、向こうの心を我が心に映し込めない。

問診〔聞診〕出来ない、治療技術者が多くなりました。
上手な鍼や手技術やお灸を几帳面にそして丁寧に行なっても、
結果は不良に終わるだけです。

人間とは、人の間と書きます。
人の間は、縁と申します。
縁は言葉により繋ぎ、言葉により切ります。
〔お金や物はプレゼント、お付き合い、縁には成らない〕

恋人の話を聞き心に映し込めない。
子供の話が受け取れない、理解できない。

幼稚な大人が多くなりました。

人間として話〔縁〕を聞く事の出来ない。
他人の理解ができない〔接〕、理解しようとしない〔待〕。
犬畜生〔裸〕で幼稚〔無明〕な世界になりました。






Last updated  2017年10月25日 10時47分50秒
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2009年11月16日
カテゴリ:精神と身体
人を理解する事、技術を理解する事。
又は自分を理解して頂く事、技術を受け継いで頂く事。

二つのテーマ、人間の関わり合いに付いてです。
職業鍼灸師、お灸の専門治療師である事から、やいと師と名乗っています。

弟子にして下さいとの話が数度あり、十数名の弟子希望者が参りました。
技術の何がしかを持って帰る者、何も持たずに帰る者が居ります。
何がしかの技を身に着けて欲しいと願うのです。

「門前の小僧、習わぬ経を読む」と云う諺がありますが。
「人間国宝の技を持つ夫の、妻は人間国宝になれるか」と云う問題もあります。
近くで見ていると、解かった様な気になるのですが、行うと全く違うのです。

同じ感覚を持つ者同士の、技の伝授は簡単ですが、感覚が異なるのです。
言葉で説明する事が難しいのですが。



入れ物の目が違うと申しましょうか。

どれだけ丁寧な六感で見ているかです。
人は、目・耳・口・皮膚・鼻・そして脳で見ます。
目は色や形も見ますが総合的なセンスも見えます。
耳は音を聞きますが、音階や音色そしてその結果としての心の動きも見えます。
口は味〔苦酸酢甘〕等を見ますが併せ持つ、旨さも見えます。
その様に触感や匂い等に関しても、多くの受け取りがあります。
脳の思う・想うの感覚は数万、数千万にも表現できます。
まるで、般若心経の逆世界です。

本当に軽い、誰にでも理解できる事柄を技として伝えます。
それが伝わらないのです。受け取れないのです。

昔盲目の鍼灸師に治療方法を色々とお伝えしたのです。
「目が見える人だから、我々盲人に本当の事を教える事は無い」と聞きました。
数年して、彼は開業独立を致しました。
その後「あの人は、本当の事を教えていた」と友が暖かい話しを伝えて来ました。
心持ち方で違うのだと、その折に深く感じました。

今又、弟子に何かを伝えたいと望むのです・・

頸部のリンパ誘導マッサージを教えて2ヶ月経つ弟子。
どの程度の技になったかをみましょうと頸の周辺のマッサージを行いました。
どうも皮膚面がやたら痛いだけで頸も肩も軽くなってきません。

原因は治療場所が数ミリ違っているだけなのです。
此処ですよと教えても、患者さんが変わると又解からなくなる。

違っている感覚が理解できないので、手直しの極意を伝えられないのです。

そこで、こんな話をしました。

大切なもの、高価な物は小さい。勿論技の極意は小さい。
鍼のツボも大きく感じるが、よく効果を現すツボは角度、深さとも小さい。
簡単に言うと0.2ミリ四方程度かな。

貴方が技を教えて下さいと餅網を持って来られたのでお餅を乗せました。
お米や大豆小豆等は乗らないでしょう。
ましてやダイヤ粒等を乗せても、落として帰るだけでしょう。

いくら、近くで見ていても、その技は受け取れないのですよ。
六感の目が粗いから、見えないのですと・・・・

細かい六感の目を持っていると威張っているのではありません。
人の心を訪ねる時、先ず自分の心の六感の目を尋ねると良いと思います。






Last updated  2017年10月25日 10時53分26秒
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