日向当帰(日本山人参)
宮崎県に自生して居た関係で日向当帰と呼ばれ、薩摩藩が「神の草」と呼び大事に自然栽培し貴重な薬草として利用した歴史を持つ草です。弥生時代前期に秦の始皇帝から不老不死の神薬を入手するように命を受けた徐福が、日向に辿り着き「神の草」を探し出した後、この地に永住した伝説も残っています。 賀来飛霞(かくひか:大分県出身の医師植物学者、文化13年1月生~明治27年没)は延岡内藤藩(宮崎)の意向を受けて高千穂など日向全域にわたって踏査しており、「高千穂採薬記」には、日本山人参が1845年俗名「ウヅ」という名で紹介されています。 その後1971年、「ヒュウガトウキ」(学名 Angelica,Furcijuga,Kitagawa)と命名されました。昭和の時代には、皇室献上品にもなりました。 1983年~84年宮崎大学農学部 志田庄二郎名誉教授は組合の委託を受け、供与された「ヒュウガトウキ」の栽培系統として宮崎大学の実験農場で栽培し調査を実施1983年1月「日本山人参はヒュウガトウキ」の栽培系統であることが報告される。 同時期、「日本薬草研究会 高崎久男等」の調査に於いて「日本山人参はヒュウガトウキ」であることを確認、平成17年施行の薬事法により、根部は医薬品(生薬)扱いとなったため、医薬品に該当し薬品扱いになり医師薬剤師以外は販売が出来ないようになりました。 薬効と栽培方法に微妙な関係があり、普通に畑にて栽培すると一年で出荷できる大きさに育ちますが、最も大切な薬用成分が殆ど無く、宮崎県では栽培を中止した地域が多い。本来の薬効を求めるのなら、山地での自然栽培が良いのだが、鹿や野兎が好んで食べる関係で自生地延岡周辺地域で栽培するも収穫は不可能に近い。山の周囲を鹿ネットで囲い栽培している農業者がいる。 好い和漢薬ですが、栽培方法で偽物になっている危険性が多い。利用するに当たっては栽培農家の住所、電話が確認が出来る事、そして栽培地が耕作地か山地栽培かを確認する必要がある。現地に住む私も山栽培の日向当帰を見た事は無い。 天然自然に存在した山人参(日向当帰)の焼酒着けと根部の乾燥粉末(平成15年)製造を頂いた素晴らしい効果がある実感できる。