201系:中央快速線(末期)
201系:中央快速線(末期)中央快速線の201系については過去ログで何回かアップしていますが、今回はE233系との交代が始まった頃の末期の写真を集めました。この時代はデジカメの導入と重なったこともあり、それまで殆ど撮影することのなかった通勤型の写真もそこそろ撮影するようになりました。平成18年5月3日 編成番号不明平成18年5月3日 クハ200-48平成18年5月3日 クハ200-6いずれも交通博物館の閉館間際に訪問した際に撮影したものです。上の2枚は交通博物館屋上から撮影したもの。DD51+24系は記念展示されたものです。もうこのような光景をセッティングすることさえ不可能となりました。平成18年5月3日 信濃町駅にて 13編成同日、なんでここに寄り道したのか記憶がありません。平成18年6月7日 T113編成平成18年6月7日 25編成後期の201系は、T100番編成のパンタグラフがシングルアーム式に換装されました。平成18年6月7日 西国分寺駅にて 24編成201系同士がすれ違い、さらに隣の国分寺駅にも後続の201系が停車しており、1枚の写真に3編成が収まりました。当該24編成は「湖池屋Pinky」のラッピングをしていました。デジカメの性能を理解していない時期であり、画素を減らして撮影してしまい勿体ないことをしました。平成18年6月7日 西国分寺駅にて 19編成 「青梅特快」平成19年3月14日 西国分寺駅にて 10編成 「中央特快」平成19年3月14日 西国分寺駅にて T113編成 「青梅特快」平成19年8月10日 T115編成 「中央特快」E233系の導入は既に始まっていましたが、まだまだ201系との遭遇率が高く慌てる感じではありませんでした。しかし、「中央特快」「青梅特快」といったヘッドマーク付きの写真を殆ど撮っていなかったので、最後の頃は特快ばかり撮影していたようです。現在のE233系は別付ヘッドマークがなくなってしまったので、ここでも国鉄時代の名残が完全に消えてしまったように思います。