20系寝台客車:寝台急行「新星」
20系寝台客車:寝台急行「新星」「新星」は、上野~仙台間を結んでいた寝台専用急行です。編成は盛岡行きの「北星」に比べてこぢんまりしたものでしたが、それでもA寝台車を含む寝台専用列車として高級感がありました。しばらくは10系寝台編成で組成されていましたが、寝台特急「ゆうづる」の14系・24系化により捻出された20系を使用するようになり、「天の川」と並んで上野口初の20系急行となっています。昭和52年頃 上野駅13番線にて ナハネフ2220系化間もない頃の写真だと思います。左側に写っているサロ455?にまだグリーン帯が付いています。20系化最初の頃は、最後部はナハネフ22がほとんどでしたが、ナハネフ21と交互に連結された時期がありました。テールサインは終始「急行」の表示だったのが残念です。昭和57年11月6日 上野駅13番線にて ナハネフ23終焉間近の「新星」。57・11改正での廃止がアナウンスされており、早朝から撮影に出たときのものです。上野駅に到着した直後に撮ったものでしょう。ホームを歩く「新星」から下車したサラリーマン風の男性の姿が見えます。どの程度の乗車率があったのかは不明ですが、仙台という土地柄、ビジネス客の利用はあったのでしょうね。昭和57年11月6日 上野駅13番線にて ナハネフ23どうも上の写真と同じもののようです。推進回送の準備が整って、引っ掛け式のヘッドライトが付け終わっています。晩年の頃には20系の淘汰がかなり進んでおり、ナハネフ21の姿を見ることはなくなり、ナハネフ22も少なくなってきたようで、このナハネフ23を見る機会が多かったように思います。急行「新星」の横サボ。愛称名を装備しない急行列車では、このような横サボが唯一の証人となりますね。昭和57年11月6日 上野駅13番線にて EF58117牽引このころはまだEF58が活躍しており、当たり前のように急行列車に使用されていました。本来、20系を牽引するにはブレーキの増圧装置が必要でしたが、カヤ21に改造されてからは牽引機を選ばなくなりました。昭和57年11月13日 尾久客車区にて ナハネフ22他廃止2日前の「新星」編成。洗浄線で身体をキレイにしてもらっているのでしょうか。こうした日常の光景も、明日はラストラン。もう2度とここへは戻って来れなくなるんですね。東北新幹線の大宮暫定開業後も半年間生き長らえた「新星」でしたが、上越新幹線開業前日の昭和57年11月14日をもって廃止となりました。今では上野~仙台間をわずか1時間半で結んでしまうわけですから、わざと6時間掛けて寝る時間を確保する列車が必要であるという持論には無理がありますよね。でも、この頃は特急列車で4時間掛かってしまったわけですから、寝ながらでも午前中の会議に間に合わせるという、ビジネスには欠かせない列車であったのでしょう。