国鉄 キハ22:興浜北線
国鉄 キハ22:興浜北線興浜北線は、天北線の浜頓別駅から分岐するローカル線。訪れた昭和56年当時、1日6往復の単行列車が走っていました。天北線浜頓別駅と名寄本線興部をオホーツク海沿いに結ぶ路線として計画されましたが、工事が進まないうちに凍結され、興浜北線北見枝幸駅と興浜南線線雄武駅の間が分断されたままになっていました。※撮影は、全て昭和56年3月14日です。浜頓別駅にて天北線を降りると、標準色のキハ2268がお出迎えです。乗り継ぎの合間の記念写真。駅名板を入れて撮るのはセオリーでしょうか(笑)。興浜北線のサボ北海道地区で見られた標準的なサボです。青地に白抜きですが、旧いサボと違い、白い縁取りがあるのが特徴です。北見枝幸駅にて起点の浜頓別駅から30.4km。終点の北見枝幸です。所要時間は交換なしの45分前後。間の駅はたった4つだけでした。当時は『カニ族』という言葉が流行りました。身体に似合わないような大きなリュックを背負って、北海道内を流浪している大学生。ローカル線や夜行急行には、こういった輩が沢山乗っていましたね。正直、邪魔くさかったです。夜はうるさいし・・・。ちなみに、私は高校2年生でした。北見枝幸駅にて駅名板を入れた写真がありました。ちょうど改札が始まった直後なのでしょうか、地元の方ばかりが写っているようです。旅行客ばかり写っていても、ローカルシーンとしては興ざめしてしまいますね。こうしたシーンを見ると、『ちゃんと地元の人に利用されているんだ』という実感が湧いてきます。北見枝幸駅にてDE10かDE15か判りませんが、終点の北見枝幸では貨物扱いも行われていたようです。今のようにクルマで撮影に行くことができれば、走行写真なんかも撮れたんでしょうけれど、当時はどこも道路事情が悪く、まして高校生ですから叶わぬ夢。赤字ローカル線の走行写真を撮るなんて真似は、間違っても出来なかったと思います。興浜北線は、第1次特定地方交通線として承認され、全通という夢半ばにおいて昭和60年6月末日を以って廃止となりました。