国鉄 155系:修学旅行用電車
国鉄 155系:修学旅行用電車国鉄155系は、昭和36年及び39~40年にわたって48両が製造された我が国初となる修学旅行用電車です。団塊世代が修学旅行催行の年代に達し、それまで旧型客車寄せ集めによる運行が限界に達していたこと、手動ドアによる転落や途中駅置き去りなどの問題により電車化が好ましいなどが誕生の経緯となっており、その時代を色濃く反映しています。東海道線による品川~京都間の運行(「ひので号」)がメインとなっていましたが、田町区に配属された155系は日光集約臨にも使用されるようになりました。ベースは既に誕生していた153系に準拠したものですが、鉄道債権による限られた資金の中での計画・製造となったため、コイルバネ台車を履く、先頭車を極力省く、スカートの省略、ベンチレータのグローブ化などの工夫がされています。また、修学旅行シーズン外には臨時列車としての活用を図るため、トンネル限界の小さい中央線にも入線できるように、全低屋根構造となっています。さらに、一度に大量に輸送することを考慮し、4人ボックスシートに加え、6人ボックスシートも設備しています。塗装は、ご存知のように明るいツートンを採用しており、当時のカラー化の中でもインパクトが非常に強いものでした。個人的にも、この塗装は子供の頃から好きでした。京都への修学旅行が新幹線に移行されるようになると、155系は臨時列車としての需要が多く見込まれるようになったため、座席は急行形標準の4人ボックスシートへと改造されることになります。昭和49年頃 蕨~西川口間にておそらく、小学生の頃に初めて撮影した修学旅行臨。この頃はまだ155系も修学旅行色のまま残っており、特別な存在であることは知っていたと思います。しかし、167系に比べると洗練されたデザインとも思えず、当時としてはそれほど着目する車両ではありませんでした。昭和51年 西川口~蕨間にてこれは撮った記憶がなく、偶然写っていたものです。撮った当時は既に155系も湘南色化されていたイメージがあったため、159系だとばかり思っていました。でも、良く考えれば日光集約臨に159系が充当される筈がありませんからね。昭和52年 宇都宮駅にてEF57終焉の頃でしょうか、宇都宮で急行「なすの」との並びを撮ったシーン。この頃になると155系そのもののことも分かるようになり、ある程度希少性を感じていたかもしれません。しかし、既に湘南色となり、インパクトの無い存在になっていました。昭和55年頃 品川駅にて 臨時急行「伊豆」修学旅行のオフシーズンでは、臨時急行への充当も頻繁に行われていました。しかし、廃車まで冷房化されることがありませんでしたので、夏臨の155系は同じ急行料金でも損な存在だったでしょうね。昭和55年5月 浜松町駅にて 臨時急行「伊豆」こちらも臨時急行「伊豆」に運用されているシーンです。昭和55年10月頃 南浦和~蕨間にてこちらは地元の日光集約臨。この時代が終焉になっていたようで、その後に撮った写真は見当たりませんでした。昭和58年4月18日 西小坂井駅にて飯田線の旧型国電が終焉を迎えた頃、歳の離れた155系も一緒に終焉を迎えています。新幹線の開業・延伸によって全国の急行列車が消え、165系などに大量の余剰が出たこともあり、155系や153系さえも不要となってきており、特に非冷房車は一気に淘汰された時代でした。その後、修学旅行臨は167系~183、189系と車種をグレードアップしながら今の時代にも引き継がれていますが、専用塗装を纏った修学旅行電車が製造されることはまず無いのでしょう。