Paolo Bea ジャンピエロ・ベア(パオロ・ベア)
手が荒れていることは、良い造り手の証なのか? メルマガバックナンバー(2007年2月21日配信)今回は久々にグルッポ・ヴィーニヴェーリから、ウンブリアのパオロ・ベアをご紹介いたします。彼のひととなりは非常に社交的、いつもおしゃれで、50歳を過ぎて気ままな独身を貫き、大の女好き。(*店長注:彼はこの後ついにその独身生活に終止符を打ちます。「自分でも信じられないことだけれど、俺結婚するみたいだ!」と皆に報告していました。)ヴィーニヴェーリメンバーの奥様方からは「いつも若々しいわねえ、手もきれい。きっと畑で働いていないのね」なんてからかわれたりしていますが、まあ当たらずも遠からず、といったところでしょうか。 彼らの畑では、お父さんのパオロと弟のジュゼッペが毎日畑で働いていますが、ジャンピエロは建築家としての顔もあり、またモンテファルコの市政にも関わっているため、実際の畑仕事を全てこなすことは不可能です。グルッポ・ヴィーニヴェーリについての説明は、 http://www.rakuten.co.jp/maruyamaya/695326/695479/704293/ をご覧ください。こう話すと、まるで彼は名前だけで何もしていないと思われてしまいそうですが、それは違います。実はワインの品質を今のレベルにまで引き上げたのは、このジャンピエロなのです。わたしが彼らのワインを初めて飲んだのは今から8年前で、おそらくサグランティーノの1993年あたりだったと思いますが、当時はとにかく泥くさいワイン、という印象が強かった。奥にはちゃんとフルーツが詰まっているけれど、なにせ臭くてざらざらしていた、と覚えています。 昔ながらのお百姓さんワイン、なんていわれるととても自然なピュアな味を想像してしまいますが、その"昔"がどの程度昔なのか、というのはかなり微妙なことです。100年以上遡れば、植物を、大地の力を敬い自分たちに必要な分だけを感謝の気持ちとともに分けていただく、という姿勢で畑に出ていたのでしょうが、それがちょっと昔、50年くらい前になると、化学肥料が開発され、除草剤や殺虫剤などもその弊害も知らずに有難がたがられ、楽をして大量の作物を手に入れる、という生産効率第一の考えが一般の農家にもはびこってしまいました。わたしが暮らしていたシチリアでも、自家用の菜園であるにもかかわらず、作物は大きければ大きいほど、多ければ多いほどいい、と思い込んでいるひとたちばかりだったのに驚いたものです。ジャンピエロは、父親が変わり者で、そういった化学肥料などには見向きもしなかったという幸運に恵まれたとはいえ、それでも収量を制限する、凝縮度を上げるために摘果してしまう、という行為を受け入れさせるのに相当な説得が必要だったと話していました。パオロにしてみれば、こんなに沢山ぶどうが実ったのに、もったいない!という気持ちだったのでしょうし、実際畑で作物を育てているひとの立場としては、それはごく普通の反応なのかもしれません。イタリアにも、3年ほど前から自然派のワインだけを輸入する業者もでてきて、アルティジャーノ(職人的)ということを強調するためにワイナリーのカタログを、彼らの両手をアップにした写真を並べて作っていたことがありました。(そのしわだらけの、爪の間に土が詰まったところまで見せるために)が、わたしにはそのような考え方はあまり公平だと思えません。汗水たらして毎日畑で働いているひとのワインでも、その無知、無関心がゆえに、結果ワインには沢山の添加物が使われていることだってあるし、また逆に、ジャンピエロのような例もあるからです。また、偏見にもとらえられてしまいますが、一般に素朴なお百姓さんよりもある程度社会でインテリ層と呼ばれるような職業についている人の方が、環境問題に関心を持ったり、農産物の安全性を疑問視したりする傾向が強いのも確かです(もちろん例外はあります)。ジャンピエロは、他人とのコミュニケーション能力に長け、ヴィーニ・ヴェーリの中でも広報、外交の仕事を担当して活躍しています。そういう彼の特徴が、消費者の立場に敏感で「ひとりよがりにならないワイン造りを目指す」という態度にも表れており、専門家・素人の区別なく、彼らのワインを飲むひとの意見を非常に重要視します。その一方で、どんなに有名で人気が出たとしても、それが彼の目指すところでない場合には断固として相手にしない強い態度をとることもできる、バランスの良いひとでもあります(イタリアでは6年ほど前にカプライをはじめとするモンテファルコのワイナリーが一躍脚光をあび、それによってサグランティーノブームが起きました)。そういった意思の強さ、自分たちのワイン造りへの信念などのほうが、ゴツゴツの手よりも、ワインの質を物語ってくれるのではないでしょうか。