たゞ映し 在る意識のみ思ひとゞまれ
認識を打ち破れあなた にとっての 夢 はわたし にとっての 現(うつつ)思念の世界ではいつ どこの だれ?己の姿でさえ・・・想いのまま過去も未来もそしてどこへでも瞬間移動可能夢の世界 思念の世界 ではそれが ”現実”(2014/01/04 記載)思い留まる に寄せて過去未来今この我をたゞ映し 在る意識のみ思ひとゞまれ現在過去未来の個我《エゴ》である私を、目覚めている時も夢を見ている時も、そしてぐっすり眠っている時もどんなときでもずーっとずっと、たとえ個我(エゴゴースト)が肉体という殻を失った後(いわゆるゴースト 霊魂になった後)であっても映し照らしている意識、唯一実在の意識だけを思いましょう。照らし映されている世界という森羅万象(生前の世界だけでなく来世にも、夢の中のように景色があり、八百万が見えてきますが)見える風景、世界ではなく、それら映されている、現されているもの全て(八百万)の礎、源である、唯一実在の意識のスクリーンにだけ、それだけに思いとどまりましょう。どこかに記事にしてありますが、ある日見た夢の中で、前世の私(中世か近世ヨーロッパで十歳ぐらいの少女だった私)が誰かに追われて恐怖しながら隠れているところ、身をすくめているのを、夢の中の私(今から十年ぐらい前の私、当時夢を見ている私)が庇っていたのですが、その場面にもうひとりの私がいるのを朧に感じていたのです。それは第三の私だけどその正体は今はわからない、と当時記していました。 その第三の私こそ、その全て(夢見ている私のことも、数え切れない前世の私のことも、来世の私をも)知っているただ映している存在、関与しない(しかし底辺で万象を支えていて、次元が変わろうともそれなしで万象は見えるものとして現れることができない、大元である唯一の)意識なのだと思っています。