Maryam's HP 日記

2013/11/10(日)06:10

1000人の天使と1000人の悪魔に同じだけの”バカと凡と天才” 

私見(323)

  あなたは自分の心にウソをついている、それは”本心”ではないとか、 今自分と思っているのは、”本当の自分”ではないとか、 私は変わったし、これからも”新たな私”を発見できるだろう ・・・・ などという言葉には、私は全く興味がなくなりました。 ここ数年は、2012年7月17日に記したように ありのままの自分 そのままの自分 素顔の自分 ってな言葉を使ってる人をみるとビックリする。 物心就いた頃から、 私にはそんなものは、風を掴むのと同じことだ と感じていたから。 まず不可能!と私は断言する。 私は、物心ついた頃から いつも自分とにらめっこしては "下手くそな金魚すくい"をしているような、 翻弄されている自分 であった(ある?)し、しかもまた 他人の目とか判断を考慮に入れる ってところが、私には欠けている・・・    人(他人様)より、何より"自分"が納得するかしないか にしか目が向いてない私でもあり、 そうしちゃー、己の迷宮をウロウロさまよって、 城の中の鏡の迷路に映る自分の姿に 突っついていたり爪をたてたり、叫んでいる    まるで今飼っている、インコみたいなの。 (インコの、こういう姿みると、なんか嫌~~~~な気分になるんだわ) であった(ある?)から! だから今更、 あなたは自分の心にウソをついている 今自分と思っているのは、”本当の自分”ではない って言われたって・・・ ナヌ('◇')?? なのだ。 勿論、 私は変わったし、これからも”新たな私”を発見できるだろう っとイメージすることを、間違っている・・・ などとも私は想っておりません。 繰り返しますが私はこういうことに(以前は、私も興味がありましたけれども)  "全く興味がなくなった"   だけなのです! ダニエル・キイス著 『24人のビリー・ミリガン』ではないですが、極端な話私の心の中には、 1000人の天使と、1000人の悪魔、 同じだけの バカと凡と天才 が今までも存在していたし、 本当の自分探し・新しい自分探し・・・ なんてものに関わったら最後、 私の心 などというものと対峙してしまったら最後、 ミイラとりがミイラになれればまだ幸いなこった!っであって、 毎日ひとりの割合で、 本当の私、新しい私・・・などと想われているもの は、 即席ラーメン並みに、製造され続けるに違いないだろう っと私は想うわけです。 心というものと、少しでも対峙したことのある人ならお分かりのとおり、 あっちもよければ、こっちもよい、 ああすることを欲しているのか、こうすることを欲しているのか? 相反する思い、両極端の意見が同居している  なんてことは当たり前だし、 心の活動は永遠、不滅、限りがなく、それは死後も消滅しないし、 輪廻転生するたびに心ってヤツは、もっともらしく ”本当の自分・新しい自分” を延々と作り出しているに違いないのです。 自分探しは 自分の心の迷宮をさまよい続ける こと。 いろんな鏡・・・ 縦長やら、横長やら、まん丸、モデルのように、乞食のように、救世主のように、ヒーローのように・・・ クリック一つで簡単特殊効果のある鏡に映った自分の姿に、 唯 一喜一憂しているだけ  っと私は想っています。 心 は 即席ラーメン並みに 新しい自分を永久に製造し続けます・・・  *** *** *** *** (自分の)心を我と同一視するな  と、私が書いた理由はそこにあります。 にほんブログ村

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