Maryam's HP 日記

2014/07/19(土)01:42

来日記16

2014来日記(25)

6月9日(月曜日)は午後1時?でしたか。。。 ブロ友さんのかにゃママさんと渋谷で待ち合わせをしておりました。 本当はその前の週の金曜日にお約束していましたが、 私が体調を崩してしまったので、かにゃママさんが延期してくださったのでした。 この日は明け方、ふと・・・午前中に両親のお墓参りに行こう っと私は思いました。 3年前は来日してすぐと、日本を発つ前の2回、お墓参りしましたが、 今回は来日してすぐに、発熱したためにまだ行っていなかったのでした。    朝9時半頃にホテルを出て、品川を経由して、日暮里へ、 駅から徒歩で坂道を上がり、両親の墓前へと息子と二人で向いました。 母は息子を妊娠する1年前に亡くなってましたから、息子は知りませんが、 父とは5歳の時にしばらく一緒に住んでいたので、 彼なりに、いろいろな思い出があるようです。 息子は私の両親のお墓参りが好きで、  ”僕、ここ好きなのよ。” とガリガリ君を片手に、それをかじりながら言って、 坂道を上がっていました。 毎回私は懲りもせずに、、、お墓をみつけるのに少し時間がかかります(^_^;) ようやくお墓を見つけて、草取りやら掃除をして、お水をかけて、 実家は神道なのですが、私は神事についてはちっともわからないので、 イスラム式の死者への弔いの言葉を息子とともに、 両親と、ご先祖様へむけて唱えました。 2014-07-04_23.22.01 posted by (C)maryam f d そして、記念に息子の写真を撮影していると、 ああ、やっと、やっとここへ来られましたね! っという、しみじみとした気持ちになったのでした。    実は、来日する10日ぐらい前に私は、こんな夢を見ていました。 エスカレーターに乗っているのだけれど、 人がたくさん、その中に長時間立っていて、しかも私が立っている場所は、非常にバランスが悪く、 居心地が悪く、私は疲れ果てていました。 エスカレーターが運んでいった場所、そこは、あるデパートの最上階のようなところで、私に次姉と亡き母が待っていたのでした。 私は、そこへたどり着くやいなや、 本当に、本当にここまでたどり着くのは、大変だったんだから・・・ っと言って私は、泣き出しそう、あるいは泣いている夢でした。 この夢をみたこともあって、私は来日前にオソロシイ不安に襲われ、 夜もよく眠れないほどに、神経質になってしまっていたのでした。 確かに、来日する過程も、来日して酷い酷い風邪をひき、高熱を発することも、私にとっては大変辛いことで、 あの夢は、お墓参りはすぐには実現せず、かなり日数を要し、 墓前へ行き着くまえには辛い思いをすることだったのだな・・・  と思いましたが、 夢の内容をよく考えると、私が不安になろうが、多大なストレスをどんなに抱えようが、 神経衰弱になって、睡眠障害になろうが、 発熱して、心細くなってどうしよう、どうしよう、と悩もうが、 泣き出しそうになろうが、泣き出していようが、 あるいは・・・ そういうものを一切感じないで、”のほほ~~~~~~~ん”と過ごしていようが、 エスカレーターに乗っていたのだから、その時間、時期がくれば、 ここ(亡き両親の墓前)へ自動的に到達していたのだろう、 っとおもったのでした。 それでも”人”というものは、いろんな状況や状態に、 ”こころ”を動かされてしまうものなのですね。 さて、お墓参りを済ませた二人は、3年前にみつけた、駅前の安い女性衣料雑貨屋さんで、 義姉妹、息子の従姉妹たちへのお土産を購入し、 再び山手線にのって渋谷ハチ公前へ向かうことにしました。 山手線ホームへ着くと、ちょうどそのとき日暮里の駅で人身事故があった、 ということで山手線は運休していました。 それでも京浜東北線を利用して、待ち合わせ時間よりも30分以上早く、 渋谷の駅のホームに到着したのでした。 にほんブログ村

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