2015/01/10(土)19:03
言葉について想うことイロイロ 其の一追記
先日、さすが世界のヤマハ!っということで、ご紹介いたしました、
タールという楽器は、これに御座います。
タール奏者の義姉2の次男、Payman Khazeni。現在イランで活躍中です。
其の弐に進もうと思ったのですが、
昨日の其の一は、表現不足でありましたので、
追記いたします。
わたしゃ大した言葉は使えないけれど、
大したことのないわたしの言葉に、
魂を吹き込みたい。
できれば飛びっきりの魂を!
****
ある人の言葉、否言葉だけでなくすべての言動、
その人が生きているということ、
(わたしとしては、生きているということには、
夢の中でも、亡くなっていてもというもっと広い意味が合わさってますが)
”魂の印が刻まれている。”
ちょっとした笑顔、視線にさえ!!
その人のエッセンスという魂印に、
その人自身が、周囲の人が、
それに気づいていなくても、気づいていても、
意識的でも、無意識でもね。
ただその魂の刻印には、強弱やら性質やら、
千差万別、宇宙の大きさ程に様々であり、
この世の中は多種多様で、多種多様な次元のエネルギーに満ちている。
一瞬しか存在しないということはすなわち、
無限の魂の刻印が、、、続き、連なり、繋がっている
ということでもある。
"一瞬=無限の包括" となる。
(まるっきりの狂人噺で御免くださいませ~)
そんなことをイメージしているわたしは、
無意識でも、なんでも、
生きている、存在していることによってなされている、
魂の刻印を意識的におこなおう!
っというのを
魂を吹き込みたい。
っと表現したつもりなの。
その吹き込みたい魂は、、、、
"わたしであって森羅万象"
でもある
”飛びっきりの魂”
なわけ・・・
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