Maryam's HP 日記

2015/09/07(月)06:54

愛おしきほどに人が哀しさ

短歌・俳句如きもの(685)

救ひなくやり切れぬのは 己(おの)が性(さが) 愛おしきほどに人が哀しさ ************* 救いようもないのを知っているからこそ、 わたしがやり切れなく想うものとは、 日常生活や現状や、 ある出来事ある事柄に対してではなく、 人が皆、 己として在るがために内在させている、 性(さが) というものなのです。 それは哀れなほどに、 悲しいものにわたしには映り、 時にそれは、 あまりの哀しさゆえに、 ひどく愛おしく感じられる程なのです.......... ******** セタールの哀調を帯びた曲は、 私の胸に震えるように迫ってきます。 セタールの曲に限らず、 名曲というものには  こころ があることを 最近わたしは知りました。 イランの民謡をピアノ、セタールで弾いていると、 (ピアノ曲とセタール曲は異なる曲ですが.....) 作曲者のどうしょうもないかなしみ、 わたしが感じてるものと同種のかなしみが、 旋律の中から浮かび上がって来て、 弾きながら涙が溢れて溢れて、 わたしはとどめようがなかったのです。 文学でも音楽でも絵画でも、 きっと同じことがいえるのでしょう..... 救いようもないものが救われるとしたら、 やり切れない想いに晴れ間がのぞく時があるとしたら、 時空を超えたメッセージに、 同じようにもがきながら 生 を全うした先人の想いに、 触れた時でしょうか..... っとわたしは想うのです。 にほんブログ村

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