2015/09/07(月)06:54
愛おしきほどに人が哀しさ
救ひなくやり切れぬのは
己(おの)が性(さが)
愛おしきほどに人が哀しさ
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救いようもないのを知っているからこそ、
わたしがやり切れなく想うものとは、
日常生活や現状や、
ある出来事ある事柄に対してではなく、
人が皆、
己として在るがために内在させている、
性(さが) というものなのです。
それは哀れなほどに、
悲しいものにわたしには映り、
時にそれは、
あまりの哀しさゆえに、
ひどく愛おしく感じられる程なのです..........
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セタールの哀調を帯びた曲は、
私の胸に震えるように迫ってきます。
セタールの曲に限らず、
名曲というものには こころ があることを
最近わたしは知りました。
イランの民謡をピアノ、セタールで弾いていると、
(ピアノ曲とセタール曲は異なる曲ですが.....)
作曲者のどうしょうもないかなしみ、
わたしが感じてるものと同種のかなしみが、
旋律の中から浮かび上がって来て、
弾きながら涙が溢れて溢れて、
わたしはとどめようがなかったのです。
文学でも音楽でも絵画でも、
きっと同じことがいえるのでしょう.....
救いようもないものが救われるとしたら、
やり切れない想いに晴れ間がのぞく時があるとしたら、
時空を超えたメッセージに、
同じようにもがきながら 生 を全うした先人の想いに、
触れた時でしょうか.....
っとわたしは想うのです。
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