2015/12/23(水)15:13
待たずして待つ究極の心得を
待たずして待つ究極の心得を
春待つでもなく咲く花にならふ
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待つという意識なくして待つという
物事を為す究極の心得を
春を、誰を待つでもなく咲く花に習う
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先日わたしはT氏のネットサイトに、
3・4枚の花の画像がアップされている
っという夢をみたのでした。
T氏ご本人様が登場するわけでなく、
なんともみょうちくりんな夢だったので、
T氏にコメントでお伝えしたところ、
Yukiさんという方の
”花のように咲き 花のように待つ”
っという歌詞を教えていただき、
私の裡で閃光煌いたのでした。
数年前から私が 憧憬 している在り方…
(生き方と言ったほうが一般的なんでしょうけれど)
とは、
これをしよう とか これこれをしている
っという自意識なく、主体なくして為す
ということでした。
自意識があろうともなかろうとも、結果的にそうしていた、
そうなっていた、現象はそう移ろっていた・・・・
っという存在の在り方です。
なんとなく歩いていた
なんとなく食べていた
しらないうちに眠っていた
っということを考えれば、
これは大したことではないのかもしれませんが、
待つ っということに於いては
心 が 何か、誰か、ある状態、ある状況などを期待しているわけですから、
自意識やら主体性とワンセットになっているのです・・・
わたしは大学時代に万葉集の講義のレポートで
待つ ということをテーマに書いたことがありました。
待つ ことの苦しさ、失望と表裏一体の期待、信頼と猜疑心との間に揺れる逃れようもない心の葛藤・・・
そんな己が心の大きな揺れ動きとは正反対に、
ただ待つことしかできない苦悩....
万葉集や古今集時代の女性の苦悶を思ってレポートを記したのでした。
そんな想いがあったもので、
花が咲くように、春を、誰を、何かを待つでもなく咲くように
待つ ことができるならば
これはもう 究極の心得 に違いない!
っとインスパイアーされたのでした。
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