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凡声庵閑話:南正邦の覚え書き Minami Masakuni

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2014.12.05
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カテゴリ:彫刻探訪
北魏時代の陶俑です。
彫刻の真髄を教えてくれます。
北魏俑

このどこがすごいのですか?

この素晴らしさを説明するには、彫刻の技法の全てを説明しなければなりません。
あなたは、彫刻の文型を考えた事がありますか。
具象彫刻家は、自然を讃美する事だと言ったのは、ロダンです。
自然を讃美することは、命の讃美です。

命の讃美は、彫刻家が表現しなければならない、重要な動機だと、わたしは、思っています。

そして、彫刻家が持っていなければならない基本的構成力の視点は、重力と生命力を表現する視点だと思っています。

この重力と生命力が、まず彫刻かどうかの分岐点で、この二つの表現が作品の中になされているかどうかです。

重力を感じなければ、それは、人体彫刻からはずれます。

対象物に生命力が感じなければ、彫刻からはずれ、人型細工と別分類にしましょう。

まず、この北魏の陶俑の中には、生命と重力があります。

重力を表現するには、空間の三つの座標が定義されているのが絶対の条件です。
XYZで示される空間座標です。

それを二つに分けると、水平面と垂線です。

水平面は、水盤に水を入れて、その上にできる平面です。

全ての生命は、この水から生まれ、全ての生命が死すと、土に戻り、水に溶けて流れてしまいます。

この水の意識こそが、生命の基本座標です。

全ての地球上の生命は、体内に壁を造り細胞に水を宿しています。
水こそが生命の根源です。

彫刻家は、まず、この水平面をはっきりと認識させることです。

つぎに、垂線です。
これは、地球の引力です。
重力です。

重力は、物体を屈服させる力でもあります。
全ての物を、上から下へと倒し、海へと流そうとする力でもあります。

しかし生命力は、この重力の倒す力に逆らって、反対へと伸びる意思のせめぎあいの中にあります。

倒そうとする力と、それに逆らって成長しようとする生命の進化の形態。

これが、彫刻家が讃美する生命の美しさです。

人間には、長い進化の帰結としての消化器官。呼吸器官、神経と脳。それを守る骨格と、それを動かす筋肉。肉体を維持させる脂肪。

どれも、地球のという惑星の重力に縛られながら、長い進化の適者生存の中から勝ち取って、受け継がれて造られてきた、生命の力です。

人体が地球に逆らって立つ。
この単純な形態の中に、重力と生命力の進化の勝利があります。

この陶俑には、ちゃんと骨格がプロポーションにそって、重力にしなやかに従いながら、さからって、すっと立つ力の流れが表現されています。

これを造った作者は、倒れた死屍累々を見て来たのでしょう、灰になった骨格を見て来たのでしょう。

人間の肉体のなかに何があって、どこでつながって、どういうふうに動くのかを知っています。
生命が誕生し、若い赤ん坊から成長し、筋肉隆々の成人になり、この肉体もさることながら、体が衰えて、痩せこけた老人の針金のような筋肉には、一層、生きようとする生命の緊張がみなぎっています。

この陶俑は、人間をよく見ています。

この陶俑の作者は、筋肉や骨格が、脂肪というフォルムに包み込まれて単純化された、人間の持つ、基本フォルムというものをよく観察しています。

フォルムを定義する、卵型に集約できます。

卵の長軸の楕円の回転体とし、そのフォルムとフォルムとの関節可動域を定義して、人物を単純な卵型モデルの集まりで組み立てる事ができます。

その卵型球にXYZの軸線と、定点とを定義します。
その定点をつなぐ稜線、ポリゴンの関係、ポリゴンネットの引っ張り関係を、全体のラインの基本構造線として、彫刻家自身の言葉として、完璧に定義すると、人間を見ないで、人間を造る構成力とフォルムを持つことができます。

見ないで人物を作る構成力を持つ事ができながら、実際の生きている人間を観察して、自分が持っているフォルムのポリゴンの定点との位相の違いを観察して、それを変換して、自分のフォルムの中に持ち込んでいます。

このすべてを、この作家が行っているのです。

また、肉体の上に被さるコスチュームも、フォルムの上を覆う細胞膜のように大胆に単純化させて、その持っているフォルムを協調させています。皺は逆にフォルムを弱くさせることを知っています。

それでいながら、細部の表現も的確で、結晶のように、細部も全体もフォルムで響いており、全体との中でも、破たんがなく、ハーモニーのように、細部が全体を後押しし、全体が細部を節制している。

本当に、重力と生命力を表現するフォルムの見事な接点です。

何一つ、不自然さがなく、何も造っていないのに、自然にそうなっている。

こうあるべきと肩ひじをまったくはらず、威圧的でも、劇的でもなく。
ただ淡々と、自然と同化している。

自然と同化しようとしているのではなく、もうすでに自然と同化しているのです。

この陶俑は、彫刻を作っているのではなく、心の中に存在する天人を作り続けている作家が、普段通り、淡々とそのまま外に出した職人を極めた領域の像です。

そのオーナーは皇帝であり、これを作っている工房の職業官吏の一員として、製作の動機は、自分の地位の保証であり、家族の安全、国家の安寧かもしれません。
でも、その背後には、これを作らなければ、殺されるかもしれないという恐怖や、戦禍に散った人々たちの恨みと悔しさの怨霊への供養も感じられてきます。

自分のプライドなどなく、いいかげんなものを作ると、仲間たちに殺される。そんな危機感すら見えてきます。

私が、この工房に入ったら、解剖学やモデルの写実彫刻よりも、工房の掃除や、あいさつ、納品への儀礼や、窯の温度管理、土を砕くことなどが、主の仕事になって、粘土なんて3年は、さわらせてもらえないでしょう。
まして人物を作らせてもらえるなんて10年かかるでしょう。

それほど、この陶俑からは、私に彫刻の真髄を語りかけてきます。





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Last updated  2017.07.11 21:27:12
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