凡声庵閑話:南正邦の覚え書き Minami Masakuni

2016/07/11(月)23:47

矢延平六ものがたり(017)

矢延平六(75)

浅野小学校の矢延平六像 本日浅野小学校へ、矢延平六リサーチプロジェクトの御挨拶にお伺いたしました。 校長の杉山知代喜先生を始め、教頭先生、4年生のひょうげフェスタ担当の先生と、皆様に歓迎していただき、貴重なお時間を頂戴し、感謝申し上げます。 イベントの当日に、矢延平六様が、会場にご降臨されますように。 浅野小学校の矢延平六人形と杉山校長先生と共に 本日、Wikipediaに「矢延平六」が新規に作成されました。 矢延平六 ところで、私が、Wikipediaに、「玉川上水よりも早く、日本で初めてと言われる本格的な上水道を敷設したと言われ」と記述した所、 「現在の高松市に上水道を敷設したといわれ」と訂正がはいりました。 また、 1644年(寛永21年)、高松城下に、日本初と言われる本格的地下埋設式上水施設を作る。 と書きましたら。これにも訂正が入りました。 1644年(寛永21年)、高松城下に、神田上水に続く日本で2番目の上水道施設を作る。 そこで、私は、脚注を加えて 『讃岐のため池』308-311ページ「高松上水道」は、完全地下埋没形の導水路で城下に水を配っているのは、神田上水とはタイプが違い注目に値する。 と書きました。 すると、さらにチェックが入り、 「「高松上水道」は、完全地下埋没形の導水路で城下に水を配っている点で神田上水とは異なる。」 で落ち着きました。 また、名を叶次(やすつぐ)、可次ともいう。のが追加されました。 しかし、それに対して、私は、「矢延平六の位牌を守っている子孫の中尾氏は、「かのじ」と呼んでいて、「やすつぐ」とは言わないけどと言っている」と脚注をいれましたが、削除されました。 でも誰がいったい何の根拠で、「やすつぐ」なんて言い出したんでしょう。これも、学者による歴史の改ざんなのでしょうか。そして、一度、それが活字にされると、子孫でも訂正できないなんて。

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