教育較差
こんばんわ。暇っちょです。今日、ある動画で「教育格差」ということを題材に語っているものがあり、それをみて、自分なりに考察してみました。教育格差とは、そもそも何なのか?高校3年生の山邊さんというかたのブログを紹介したいと思います。「この割れ切った世界の片隅で」といったタイトルの記事があり、多く読まれています。「ふつう」という言葉に対して疑問視されている感じがしています。そして、自分が生きている世界を「ふつう」と定義してるものの、この「ふつう」ってものは、本当に一人一人が異なっている。このブログ作成者が自分の普通という原点を上手に言語化している。こんな中で、ブログを読んでいると、「教育格差」の原因が貧困から来る。教育の違いについても、海外へいった経験だったり、都会へ進学、有名学校での勉強、大きなスポーツ大会(インターハイ出場だったり、県大優勝、甲子園出場等)で賞を取る。といった大きな経験がプラスとなる。そこまで細かく書かれてないですが、勝手に想像を膨らませて解釈して書いてます。そんなところから、「社会を創る層」「そうでない層」といった言葉があり、そちらのブログに書かれたデータで、私立小学校へいくのは約1.1%、私立中学校は7.3%、大学進学は58.8%らしい。ブログを通して、自分の知らない日本の普通を知っているか?世界の普通を知っているか?と、問いかけているように感じます。そこで、本題の「分断」について議題にあげて、疑問視し、考察しているようです。この層の分断により、立場が違う人のことについて共感ができない、共感できない世の中だから、息苦しいものになっていく。他人の違い(普通)を共感できる、小さな世界を世界のすべてと思わないようにしてほしいといったことが書かれていました。私の解釈間違えていれば、すいません。悪意はありません。このブログがバズって、かなりの「いいね」がついているとの話です。このブログを読んで、共感すること、共感しないことがあります。共感できることとしては、自分の「普通」は、他の人にとって「普通」とは限らない。ってことです。少なからず、暇っちょは普段、生活する中で、自分が大多数の行動と違った変わり者だと感じています。周りの普通は、自分にとって変なこと、理解できないこと、その逆も然り。共感できないことは、他人を思いやることは大切ですが、他人の普通を理解しようとする努力は、基本的に不要だと思っています。分断の話につながりますが、自分が生きている「普通」以上を知ることが幸せとは限りません。情報は多ければ多いほうがいいといいますが、現代においてそれは嘘だと思えるときがあります。本当かどうかわからない情報がネット上に散乱し、それを選択し続けることは、多くの人にとってストレスではないのだろうか?とさえ思います。それはさておき、「教育格差」ってそもそも、埋める必要があるのか?っていう点です。変えられない背景の教育の差みたいなお話のようです。無理に平均な人を作る必要はないと思いますが、志す人、努力する人ってのは、教育格差ってのを飛び越えるものがあってもいいと思います。教育の目的が、平均を作るというか、ボトムアップという考え方が強いのかなと思ってます。誰しもが受けられる教育の意味で、教育のレベルUPは大切ですが、格差を埋める努力はしたい人がすればいいと思ってます。そもそも、格差を埋めるために、トップに平均を置くと、毎日休日もなく勉強しなければならないとか、嫌だと思いますし、多様化が進む中で、得意のことに力を見つけて育てることじゃないかな?って思います。そもそも一人で生きるなら、競争を知る必要性は必ずしもないですが、資本主義社会でいきていくためには、常に競争にさらされます。なので、競争という概念をしっかりと学校で身に着けることは、大切だと思ってます。逆に競争を否定してる方も多々いますが、それは資本主義であってはいけないって思います。自分は社会人になってから、2年目くらいから毎日、仕事関連だったり、読書だったり、資格ってのに時間やお金を使ってきました。しかし、それと引き換えに、一般人が知ってる芸能人だったり、お笑い、ドラマといったテレビ番組知らないし、流行も知りません。ただ、それが欲しいか?っていうと自分は無い生活でも問題ない。知りたいものを知るっていう狭い視野で生きてく自分に納得してるから、それでいいって思ってます。教育格差よりも、私にとっては幸福の追求ってのが重要だったという話です。私みたいな人が世間の代表的な考えとは思いませんが、逆に自分の普通ってものとフィットする人も、さほどみたことがないと思ってます。なので、個人個人が幸福を追求するうえで必要な教育を求められるレベルであれば、それでいいのかなって、個人的に思いました。長文になり、結論が、教育格差あっていいと思う、貧困の差も必然と生まれるという結果に自分の中でなりました。ただ、トップとボトムの差がどうか?っていうのは、また別の意見としてある気がします。