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中高年の生涯学習

2019.04.21
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色々な文章や評論、テキストを読んでいる時、何を言ってるか、さっぱりわからないことがあります。こういう時、自分は頭が悪いからと諦めて、その文章や本はパスして積ん読にしていませんか。自分の理解力が足りないのか、あるいはその文章を読む前提となる情報を持ってないため、わからないのか。とてももやもや状態になります。

ものごとを知ることを「認知」、あるいは「認識」と言います。この「認知」とは、頭のなかで、どういうからくりが働いているかを追究する学問に「認知心理学」があります。「心理学入門」を終えられたら、次のターゲットは「認知心理学」をお勧めします。資格試験に受験予定の方は、試験に出題される科目を優先してください。ここはあくまでも好奇心が先行しています。

​​放送大学の「認知心理学」は高野陽太郎教授の授業が前年度(この3月)で終講になり、今年度は新たな「認知心理学」が始まっている。本ブログは高野教授の授業とテキストを元に書いている。放送大学に登録されている学生は、各学習センターの視聴室で終講科目のDVDが夏ごろまで置いてあるので視聴はできる。テキストも教材管理団体から取り寄せれば入手可能である。高野陽太郎教授は東京大学文学部大学院教授である。なんと放送大学は東京大学の授業を行っているのである。
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そのせいか、テキストは妙にむずかしく、読んでいても頭にまったく入ってこない。その上、分厚いテキストで値段も高い。これは大損した、と最初は感じました。さすが「認知心理学」の専門家である高野教授は学生・読者の理解(認知)状況をお見通しなのである。このテキストはスーッとは読めない。なぜか。人間の「認知」の原理が分かれば、その対処法も自分で編み出すことができるはずという確信がある。

​まず、この科目は放送大学のテレビ授業がテキストに付属している。「まえがき」に「テキストは復習のための教材として使ってほしい」と断っている。放送授業では、テレビという機能を生かして次々に動画を見せてくれる。そのあとでテキストを読むと、当然ながら文章は丁寧に、分かりやすく書いてあるのがわかる。この授業そのものが認知心理学の実験のようなものである。動画の内容を文章で表現するのは至難のことである。実際に「見て」もらえば、直感的に認識できる。
​最初は、この高野教授の深謀は読めなかったので、書店でもっとやさしいテキストはないのかと探した。大きい書店に行くと「認知心理学」のテキストは5~6種類出ている。いちばんやさしそうなのが「基礎から学ぶ認知心理学-人間の認識の不思議」(服部雅史、小島治幸編、有斐閣)を入手した。これは初学者にむけて、話し言葉調で書かれている。これと比べると放送大学のテキストは中級レベルで、その他に上級レベルもあるようである。初学者向けを押さえると高野教授の本も読めるようになった。高野教授の講義はテレビという映像を最大限活用しているのがわかってきた。
​「人間の認知」と言う目に見えない機能、仕掛けをどのように解明するか。メインは知覚、注意、記憶、思考である。知覚では、まず視覚を取り上げる。外界の景物は眼の網膜に入ってくるが、網膜は二次元の幕なのに、頭の中には立体像(三次元)に見えるのはどうしてか。このカラクリは解明されていて、絶対知りたいと思われた方は高野テキストをご覧いただきたい。もうすでに「認知心理学」の世界に取り込まれている。
​世の中に「英語の勉強法」は、怪しいものを含めて大量に出回っている。「認知心理学」的アプローチは、どうだろう。「記憶」のテーマでこれが出てくる。短期記憶、長期記憶と人間は様々な記憶法を持っているが、われわれ日本人が「日本語」を操っているのは手続き的記憶というもの。手続き的記憶というのは自転車に乗る、泳ぐという身体技能で、この記憶を獲得するためには長期にわたる練習が必要になる。例えば、英語の授業やラジオ講座を聞いて「わかった」としても、その後で、相当長期の音読等の練習をしないと身につかない、というのが「認知心理学」の法則になる。これを知っていれば語学の学習方法は変わってくる。
​高野心理学は「思考」のところで、パズルのような問題(心理実験)が次々出てきて、自分は相当頭が悪いなと思わせられるが、分からない所はパスしよう。高野心理学の、一番興味深い所は最終の14回、15回である。14回の授業は、関連するテキストは14章の最後の2ページだけで、重要な話はテキストに書かれてない。テーマは「他人をどう認知するか」で日本人論が取り上げられる。日本人論で一番有名なのが、ルース・ベニディクトの「菊と刀」だ。「日本人は集団主義的だ」、「アメリカ人は個人主義的だ」は真実か。これを認知心理学の実証実験では逆転してしまう。国民性が論じられるとき、多くは歪んだものになる。対応バイアスである。今で思えば「中国、韓国ヘイト本」に思い及んでしまう。民族性、国民性などは簡単に断定できないし、アジテーターの論については疑ってかかったほうがよい。
​15回目は全体のまとめになっているが、ここで高野教授が「認知心理学」の真髄と出会う場面の紹介となる。30年以上前のこと、東京大学大学院を修了して、アメリカの大学院に留学した。アメリカの大学院のゼミに出席して愕然とした。議論に参加できなかった。初めのうちは「自分の英語力が足りないのだろう」と考えていた。相手が英語で話していることは何とか理解できたが、相手の発言に対する考えが何も浮かんでこない、という経験だった。「頭が悪くなった」と思った。4回目に紹介された「注意」というテーマだった。人間が情報処理を行うには注意資源が必要になる。難しい情報処理を2つ同時に行う場合は、片方の注意資源が足りなくなるのではと気づいた。パソコンのメモリに容量という概念がある。これと同じである。ここでは英語を理解し、話すという言語処理と、もう一つは思考である。この2つを同時に行わなければならない状況だった。
母語(日本語)で議論する場合は、生まれたときから日本語を使っているので、自動化が進んでいるので注意資源を思考に十分持ってくることができる。身近な所では、最近の国会議員の失言だ。こちらは注意資源が別の所に行ってしまって、言語のほうの注意資源が低下していたのだ。

これは実験で検証できるだろうか。高野教授は様々な実験を行った。それはテキストで紹介されている。こういう状況を高野教授は「外国語副作用」と命名している。母語が英語ではない人が商取引や外交交渉、学問的な討議を行う場合、不利な状況になる。高野教授が気づいた「外国語副作用」は、国際化する現代の社会的問題になっている。

これに対する対策として「通訳」を置くことを提案している。しかし、この方法の最大の障がいは「面子(メンツ)」である。「英語ができる」ということが一種のステイタスになっている。そのとき通訳が必要などと言い出せば、自分に対する評価を下げてしまうことになる。商取引や外交交渉の場合は「通訳をたてる」ということをその組織の制度にしてしまうことだとアドバイスしている。






最終更新日  2019.04.21 13:33:37
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