2014/06/29(日)13:31
師を見つける
自分の目標となる師を見つけることは、本当にむずかしい。奇跡にちかい、といっていい。講演会や大学の講義、本で知った尊敬すべき人、こういう人に出会ったら何度でもお話を聞くべく通うべきだ。著書を執筆している人なら、その著書を購入して読む。著者の他の本を読む。全集が出ているくらいの人なら、その全集を購入し、その人を身近におくことが深く出会う入り口になる。全集は高価なものだから一気に購入というわけにいかない。古本屋で見つけて送ってもらうという手段を考えてもいい。半額くらいで入手できるかもしれない。ネット書店で探すこともできる。中高年になると年下の方を師とするということもありうる。これは致し方ない。学芸とか能力は年は関係ない。一方で講演会や講座で、おそまつな人物に出会うこともある。ただ、この場合、単純に「馬鹿な先生」と決めつけない方がいい。バックにある組織が、なぜこの人物を講師として選んだかを推察してみる。よいところはないだろうか。何か秀でた所はないか。例えば、教え方は下手だが、好人物であるとか、本来のテーマになかなか入らず、時間つぶしの話が多すぎるが、学生同士の討論やグループワークは実に巧みに運営する。短歌の講座で講師を務める牧師さんは、話が高揚するとキリスト教の話になってしまう。短歌の技術はぜんぜん学べないということもある。この場合、あきらかに人選が間違っているのだが、学ぶ方も臨気応変に対応することも必要だ。どうしても気に入らなければ、黙ってこちらから退場する。時間がもったいない。ダメ先生ならぬ、ダメ教材に出会ってしまうこともある。難しくて使いようがない。使い方が不明という教材もある。難しい場合は、一時寝かして、将来、自分が少し進歩して使えるようになった時に、再度引っ張り出す。使い方が不明の場合は、どこかに使用法が紹介されてないか、探してみる。教材の一番最後に注目し、結局どういう所に学生(使用者)を導こうとしているのか、結論を先に見てしまうと、そこに至るプロセスが見えて、教材の構成やねらいがわかることもある。この教材の前提知識は何か、執筆者は読者が前提知識を知っているものとして、展開しているのではないか、これがわかれば、当の教材より、まずその前提知識が掲載されている本を先に読むべきだ。人との出会いは一期一会である。この出会いによって人生が変えられてしまう場合もある。師というのは、現実に出会わなくとも、いい。書籍を通しての師、というのが一般的だろう。過去の偉大な人物を、常に身近においておくのも人生の指針になる。