591124 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ふるさと福井

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カテゴリ

フリーページ

2006年09月09日
XML
カテゴリ:新田義貞あれこれ

藤島城址(福井市藤島町、西超勝寺)

藤島の戦い(8月29日の日記参照)に出てくる藤島城は、灯明寺畷新田義貞戦没伝承地(8月28日の日記参照)から東へ7キロぐらいの所にありました。現在はその場所に、藤島城址(現福井市藤島町、西超勝寺)の石碑が建っています。義貞は、灯明寺(福井市灯明寺の白山神社の地)の本陣からあぜ道伝いに藤島城へ偵察に向かう途中、1キロ余り行ったところの同伝説地で戦没したと伝えられています。

藤島城、足羽7城の一つに数える説(諸説あり
8月31日の日記参照)

案内板によると、藤島城を南朝方の足羽7城の一つに数える説もある。現在、北側に残る土塁の一部のほかは、当時の面影をとどめないが、地籍図では北側、東側に土塁、堀があったことが認められる、などと伝えています。

藤島城に立て篭もった平泉寺衆徒、命がけの防衛

藤島城の様子について太平記は、平泉寺の衆徒の立て篭もる藤島城、意外にも浮き足立って、すぐにも落ちるように見えた。数万の寄せ手はこれを機に、向かい城造りをそのままにしておいて攻撃した。衆徒も敗色濃く見えるが、とても逃れられないと知ると、身命を捨てて攻撃を防いだ。官軍が櫓を落として攻め入ろうとすれば、衆徒は材木を転がして落とし、衆徒が橋を渡って打って出てくると、寄せての官軍は槍先を揃えて突き落とした。押しつ押されつの戦いに、日はすでに暮れた。この頃、大将義貞は、灯明寺の前に控えて負傷者の様子を見ていたが、藤島の戦いに不安を感じて、50騎の手勢を従えて藤島城へ様子をみに向かった、などと概ねこのような内容で伝えています。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年09月16日 11時23分30秒
コメント(0) | コメントを書く
[新田義貞あれこれ] カテゴリの最新記事


日記/記事の投稿

お気に入りブログ

旅好き人の日々放浪記 旅好き人さん
BaySky雑記帳 BaySkyさん
あっぷるろ~ど’di… あっぷるろーどさん
北陸/福井/あわら… brand@fukuiさん
高 爺 の 日 記 高 爺さん
「くまがやねっと」… くまがやねっとさん
癒しを求めて ただくん1128さん
白い大地のあるある… siroidaichiさん
3匹目の猫、旅に出る 3匹目の猫さん

© Rakuten Group, Inc.