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2006年10月31日
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カテゴリ:継体天皇あれこれ
てんのう堂=継体天皇の門出


福井県坂井市丸岡町女形谷にある「てんのう堂」(昭和49年1月8日丸岡町文化財指定)です。武烈天皇が亡くなった後、男大迹王は26代天皇(継体天皇)として中央に迎えられるのですが、その時、中央から迎えにきた使者、大伴金村(おおとものかなむら)らと会見したところと伝えられています。

男大迹王は信用できなくて、なかなかこの誘いにのらなかったといわれ、その後訪れた使者、河内の馬飼頭「荒籠」(うまかいのおさあらこ)に熱心に説得されて、新しい門出を決断したという。男大迹王は507年、河内(大阪府)の樟葉宮(くすはのみや)で即位したのですが、この時の年齢は57歳とも58歳ともいわれています。

ところで、男大迹王は応神天皇五世孫といわれています。しかし、男大迹王は、両親の出身地である越前(母)や近江(父)の豪族の力を基盤に、婚姻関係で有力豪族との結びつきを広め、尾張や畿内に向けて徐々に勢力圏を拡大していったと考えられており、この勢力も天皇即位に大きく影響したようです。男大迹王には7~9人の后妃がいたといわれています。

「てんのう堂」は、坂井市丸岡町高田の高向の宮の跡10月9日の日記参照)から北へ車で15分ほど、継体天皇巨大石像(9月26日の日記参)照がある福井市足羽山麓から北東へ車で45分ぐらいのところにあります。田園地帯にあって、その周囲はそばの花が咲き誇っていました。

案内板の説明(男大迹王=おおとのおう、おほどおう)
てんのう堂は、男大迹王(後の継体天皇)ゆかりの地として古くから伝承されている。男大迹王は、母振姫にこの地でたが、武列天皇が崩御されたあとに、第26代天皇として、中央に迎えられた。この地は、大和よりの使者、大伴金村(おおとものかなむら)、物部麁鹿火(もののべのあらかひ)、許勢男人(こせのをびと)らと会見したところと伝えられている。


福井県とゆかりの深い継体天皇が来年、即位1500年という節目を迎えるにあたり、県民の関心が日ごとに高まっているようですが、私も継体天皇に関することを少しでも紹介できたらと思っています。







最終更新日  2006年11月01日 13時22分36秒
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