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2006年11月29日
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カテゴリ:朝倉遺跡あれこれ

「唐門」 唐門の刻まれている豊臣秀吉の家紋「五三の桐」
朝倉遺跡の「唐門」                豊臣秀吉の家紋「五三の桐」

朝倉義景館跡の西側正門に建っている「唐門」は、観光パンフレットなどにも多く掲載されており、朝倉遺跡のシンボルにもなっているようです。しかしこの門は、朝倉氏滅亡後、義景の菩提を弔うために建てられた松雲院(しょううんいん)の山門です。豊臣秀吉が義景の菩提を弔うため寄進したと伝えられており、門の表には朝倉家の三ッ木瓜(みつもっこ)の紋が、その裏には豊臣家の五三の桐(ごさんのきり)の紋がそれぞれ刻まれています。現在、同館跡の東南隅には、松雲院建立の頃に造られたと考えられている義景公墓所があります。

ところで秀吉の唐門寄進説については、建築の歴史や門の風化具合などからそれを疑問視する向きもあるようです。建築の歴史でみると江戸時代半ばよりちょっと前のものといわれ、柱の風化具合をみても豊臣秀吉の時代に遡るものではないという。しかし一方では、江戸時代中頃に立て替えられたとみる向きもあり、そうだとすると、秀吉寄進の唐門が江戸時代に立て替えられたとの見方もできるようです。とはいえ、唐門に関する文献が出てきていないので定かなことは分からないといわれています。

ちなみに、朝倉時代の西側正門には、足利義昭も出入りした立派な御成門(おなりもん)が建っていたと考えられており、それは特別の場合しか開けない不開の門(あかずのもん)だったようです。

晩秋に撮った朝倉遺跡の写真50枚を
フリーページで紹介しています。これからは福井県ゆかりの新田義貞、 継体天皇に加えて朝倉遺跡のことも少しづつ日記で紹介していく考えです。また、今公開している朝倉遺跡のムービーも近く一新する予定です。朝倉遺跡は有名なのでご存知の方も多いと思うのですが、またお時間のある時にご覧頂ければ幸いです。







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最終更新日  2006年11月29日 14時53分05秒
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