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2007年01月14日
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カテゴリ:継体天皇あれこれ

足羽山にある継体天皇の巨大な石像 
足羽山に立っている継体天皇の巨大石像

男大迹王(おおとのおう、おほどおう=後の継体天皇)が生まれた頃、5世紀中頃の古墳時代には、越前、若狭では、福井県の基幹産業の一つである繊維産業の歴史が既に始まっており、それが日本繊維産業史の中で最も古いと考えられているようです。4世紀後半から5世紀にかけて築かれたとされる福井市足羽山古墳群から数種類の絹織物が出土したことを根拠に、その頃には、越前で絹織物が織られていたとみられています。

旧丸岡町が描いた継体天皇のイラスト
男大迹王(後の継体天皇)の想像図=旧丸岡町教育委員会

足羽山古墳群から出土した絹織物については、大陸からの伝来品ではなく、越前で生産されたことが既に証明されているという。また、足羽山古墳群については、足羽神社の宮司、馬来田家の祖先が継体天皇の王女、馬来田皇女といわれ、その母親が、継体天皇の8~9人の妃の一人、広姫といわれていることから、馬来田皇女の一族ものではないかと考えられています。

一方、絹織物の起源については、弥生式時代後期の2~3世紀ごろ、大陸からの渡来人が越前、若狭に移住して織り始めたという説もあるようです。日本では部落国家の戦乱が起こり、30余りの小国連合体、邪馬台国の女王に卑弥呼を立てて戦乱を収めた頃です。いずれにしても、福井県繊維産業の古い歴史を改めて認識するとともに、基幹産業繊維に対し誇りを感じているところです。

継体天皇の母振姫の想像図=丸岡町教育委員会
継体天皇の母振姫の想像図=旧丸岡町教育委員会

ところで、男大迹王が幼い頃から、継体天皇に即位する前の57歳まで越前にいたと考えられていますが、男大迹王の母・振姫も越前で織られた絹織物を着ていたのでしょうか。また、婚姻関係で有力豪族との結びつきを強めて勢力を拡大したという男大迹王が、絹織物を戦略的に利用したことがあるかも知れません。そう思うと、継体天皇の伝説が福井県の繊維産業史にも結びつき、古代のロマンが一層広がってきます。

ちなみに、文献で福井県織物の記録がみられるのは「続日本書記」で、その記録には、元明天皇が奈良時代の和銅5年(712)に越前など20ヶ国に綾錦絹織物の生産を命じたことが記されており、さらに平安時代初期の延喜5年(905)には、越前、若狭、加賀など36ヶ国から絹帛を朝貢させたことが史実にあるようです(その後の歴史については福井県繊維産業史と県民性の日記参照)







最終更新日  2007年01月19日 10時53分21秒
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