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カテゴリ:継体天皇あれこれ
国の史跡・手繰ヶ城山古墳は標高150mに立地、2代目大首長墳とされる北陸最大規模の六呂瀬山古墳1号墳(前方後円墳・全長140m)に次ぐ規模ですが、それだけでなく、越の国がヤマト政権に組み込まれ、広域圏を支配するようになった最初の古墳と考えられています。古墳は全面に川原石が葺いてあり、九頭竜川の石を手渡しで運んだとみられることから、地元には「手繰ヶ城伝説」が残っているようです。また、古墳の周りを囲むように3重の埴輪列がめぐっていたと考えられており、古墳の造営時期は4世紀中頃とみられています。 手繰ヶ城山古墳は、遊歩道が整備されており、円墳のいただきまで、第一駐車場から30分ぐらい、第二駐車場から15分ぐらいで行くことができます。そこからは、男大迹王(後の継体天皇)が治水・開発したと伝えられている福井平野、坂井平野をはじめ、九頭竜川や日本海、さらには六呂瀬山古墳群が展開する九頭竜川対岸(北側)の山々を遠くに望むことができます。六呂瀬山など山々の麓は、男大迹王(後の継体天皇)の母・振姫の郷里「高向の宮の跡」、男大迹王が大伴金村らと会見した所とされる「てんのう堂」があるところです。付近を眺めていると、越の国の大きさ、男大迹王(後の継体天皇)の絶大な支配力、偉大さが伝わってくるようです。 ちなみに、第二駐車場まで車で行けるようになっているのですが、舗装されていないところがあって、車の底が地面につかえるところがありますので、念のため。
最終更新日
2007年02月21日 00時06分41秒
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