邪馬台国
今日は書くこと無いので邪馬台国について。ご存じのように邪馬台国についての位置論争はたくさんあります。代表的なものが北九州説と近畿説。中には東北説というのもあります。それは、八幡平は邪馬台だというのです。宮崎、島原、出雲・・・二千字あまりの魏志倭人伝を様々に解釈してそれぞれ説得力のある説ばかりなのです。しかし、ぼくは、やはり当時大陸との位置関係から考えると北九州にあったと考えた方がいいように思います。理由はいろいろありますが一つだけあげると奈良にある地名とその位置関係が九州福岡県の甘木の地名および位置関係と同じだということです。これは九州にあった日本の中心が東遷したと考えなければ説明できないことだと思います。あたかもイギリスからメイフラワー号に乗って新大陸に移住した清教徒たちが故郷のヨークを忍んでニューヨークを作ったように・・・いま読んでいるのは、大杉博氏の「邪馬台国の結論は四国山上説だ」ですが・・・