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ぶーちゃん3867

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 うるる@ Re:尊敬する日本人女性・・・湯川スミさん (05/15) はじめまして。 素晴らしい記事を有難…
 ぶーちゃん3867@ Re:プールかあ(07/21) ちっちゃんさん >アタシも行きたいなあ…
 ちっちゃん@ プールかあ アタシも行きたいなあ~★ でもトドと間…
 ぶーちゃん3867@ Re:おとうさん(07/18) ちっちゃんさん >きっと一生懸命、この…
2006.05.15
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今朝の朝刊を見て驚いた。本人初のノーベル賞受賞者の故・湯川秀樹博士の夫人で、

国際平和団体「世界連邦世界協会」名誉会長の湯川スミさんが、胃がんで亡くなった。96歳だった。

私が理想とする素敵な日本女性であった。55人の熱きメッセージにもご協力いただいた。

湯川スミさんのご冥福をお祈りして、平成11年7月号のいい話の新聞の記事を紹介します。

少し長いかもしれませんが、ぜひ最後までお読みください。

地球が永久に清く楽しく生活できるものに

 私の父、湯川玄洋は若い頃、ヨーロッパで生活したこともあり、

「日本に生まれたからといって、日本のことだけ考えていては間違いが起こる。

できるだけ地球上の広い範囲のことを見聞きして、高い大きな立場に立って考え、

これがよいことだと見極めたら実行すべきだ」と言いました。

 また「人間は決して卑屈になってはいけない。自分で納得したことは、

誰に対してもありのままに言うべきだ」との考えでした。

父はドイツの先生方に教えを受けましたが、決して鵜呑みにしたのではなく、自分の研究したことに

対しては恩師の意見であっても変更を加え、研究を遂げる方法をとったといいます。

 この父が見込んで見合いの相手に選んだのが秀樹さんでした。

見合いの席では、私の兄が話しかけても、一言でも少なくというような様子でしたが、

真面目な人柄は分かりました。

秀樹さんのほうの小川の父も地質学専攻で日本各地を旅行し、中国にもたびたび行ったと聞くから、

秀樹さんも日本の学問だけでなく、世界の学者の疑問点を解明しようとしているのだから、

頼もしい限りだと、私は心から信頼していました。


 私自身、女学校時代にノーベル賞というものがあると聞いていて、

秀樹さんと結婚してすぐ、「日本人はノーベル賞を受けることができないのですか」と聞くと

「世界の物理学で謎になっているところを研究して解明すれば受賞できる」と言われ、

夫婦の目標としたのです。

これは二人だけの話で、ノーベル賞などと言っては親にも笑われそうでした。

 そして秀樹さんの論文が認められてアメリカに招かれ同行した時には、

アインシュタイン博士が私たちの手を握って原爆のことを謝られたのです。

ユダヤ人としてヒトラーを恐れて「原子の力を使うこともできる」と漏らしたのが、

はからずも日本の被爆につながったという博士と、

平和のためにはどうしたらいいか話したことが世界連邦の運動につながりました。

 特に、人類の半分は女性で、人類の母なのですから

「長年にわたって地球上に生きてきた人類や生物が私たちの時代に滅びてしまうことが

ないように核兵器を生活に役立つものに作り替えてほしい。

そして宇宙船・地球が永久に清く楽しく生活できるものに」と訴えています。

ノーベル賞は夫婦の目標 骨身を削り「苦楽の園」を楽園に

賞金も私的に遣わず すべて後進のために寄付

京都の下鴨神社近く、静かなたたずまいの湯川家で、スミ夫人(89)の話を聞いた。

大阪生まれの澄子さんは大手前高等女学校を卒業した後、

厳しい花嫁修行を経て小川秀樹さんと見合い結婚をする。

名前を「スミ」にしたのは、みんなに可愛がられたいからとのこと。

 地質学者・小川啄冶家の三男・秀樹さんは、医者の湯川家に養子として入り、湯川秀樹となった。

見合いするまで独身主義だった秀樹さんを一変させた才色兼備の妻は

「私は医者の家のことはわかりますが、学者の妻としては、どうしたらいいですか」と聞く。

「物理の勉強に専念させてくれることだ」と言われて以来、

寡黙で真面目な夫を命がけで支えることを決心し、実際に骨身を削って献身するのだ。

 物理学の研究には、当然、外国の書籍もたくさん買って読まねばならない。

夫人が掃除をしていたら机の上に本屋の請求書が載っていたので父親からお金を貰って乗せておく。

喜んでお金を出してくれる父に感謝すると同時に、

難しい原語の本をどんどん読んで研究を重ねる夫を心から尊敬していたという。

 こうした協力もあって、夫は昼間、大学講師をつとめながら寸暇を惜しんで自分の研究を進める。

夜中にパッと電灯をつけてメモを始めるから「専念させるのがつとめ」と、

妻は泣き出した二人の子供を抱いて部屋を出て灯りが消えるまで待つ。

 しかも躾のきびしい母に育てられたから、どんなに忙しくても夜も眠れなくても、

女が昼寝などはもってのほか、という生活が続く。

苦心の論文が完成したとき、スミ夫人も体重が約30キロにやせ、肺浸潤になっていたと言う。

 「秀樹さんがせっかく考えついたことを、早く世界中の人が読むものに発表してやってください」

と夫人が頼んで、やっと「素粒子の相互作用について」と題する英語の論文が

日本数学物理学会に送られた。

この論文が、2年半後にアメリカの実験物理学者に証明され後にノーベル賞を受ける、

「中間子の発見」である。

 昭和23年、アメリカのプリンストン高等学術研究所に招かれた夫とともに渡米、

コロンビア大学の教授に迎えられた夫と、結局5年間のアメリカ生活を送る。

そして、在米中の昭和24年、日本人初のノーベル賞を受けたのは、

あの論文を発表してから戦争をはさんで15年も経っていた。

 ノーベル賞の賞金3万171ドルは「すべて日本の科学振興のために使い、

湯川家には一文も使いませんでした」とキッパリ。

当時の3万余ドルといえば、優雅な余生を楽しめる金額だが

「贅沢をしなければ暮らせますから」とは、学者として高潔な生き方が集約されている。

アメリカやヨーロッパにいる間、夫婦単位で出席する学会やパーティなど、

夫人は夫の秘書役をこなしながら、日本文化を伝える代表選手のように、

料理、日本舞踊、茶道、南画などを披露する。

いずれも一流のプロから仕込まれたものだけに賞賛されるのはよいが、

体がいくつあっても足りない忙しさ。

「女学校時代に習った英語はなんだったのかしら」と苦労しながら語学も学び、

車の免許も取って「湯川夫人は、内助も外助もする」と言われたそうだ。

 帰国後、求められて書いたスミ夫人の「苦楽の園」には、

偉大な物理学者のナマの姿とともに、それを支えて奮闘する妻の人生が描かれている。

本の前書きには「この世の中は人間にとって苦楽の園であるからこそ、

みんなの力で何とか楽園にしたい」とあり、人生観がうかがわれる。

 夫の死後もスミ夫人の平和運動は続く。

近くはユーゴ問題でNATOへ空爆停止のアピール、子供たちの平和意識を高める活動、

エスペラントと世界連邦をつなぐなど尽力を惜しまない。

2年前から車イス生活になったが、長男の妻・由規子さんが

「おかあさまは足が不自由になってもプラス思考です」と言うように

今も世界平和から地球環境の問題まで、より大きなテーマを見据えている。

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Last updated  2006.05.15 08:57:21



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