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カテゴリ:オーボエ
日記をサボってばかりで気が付いたら11月になって何も書き込んでいなかった。まず~~~~い。
久々にテレビを見た。所ジョージが司会をしているダーツの旅の特番で吹奏楽の旅の完結編をやっていたのでつい見てしまった。何度か見ていたのだが最後とあって見逃す事は出来ずに見入ってしまった。 吹奏楽コンクールは中学高校と何度も出ているので興味深いものだった。出てくる高校は何処も名の知れた高校ばかりでその練習振りは物凄いものだった。憧れの普門館に向けて何処も一生懸命練習する姿は吹奏楽部というより運動部の特訓にも見えてきた。当時県大会どまりの私にとって地区大会を勝ち上がり全国大会へ行くというのがどれほど大変かを思い知らされた。 しかし、何かが違うんだよ。何かが・・・。指導する教師も生徒も・・・。音楽ってそんなもんか?吹奏楽の楽しみってそんな感じなのか?おそらく指導する教師(指揮者)は厳しい練習を耐え目的に向かって前進し、達成する喜びを生徒に教えようとしているのだろうが・・・。また将来社会に出てから役に立つ・・・なんて感じで生徒を怒鳴り激励していると思うのだが、何かが違う! 音楽をまた吹奏楽を愛する一人としてはなんとも言えない違和感を覚えてしまった。日本の教育&社会は競争と言う名の深い霧の中に漂っている。相手が入れば必ずそこに競争が起こる。相手よりもまさるように努力するように教育され、それが常識となっている。誰かがミスれば自分が出るチャンスになるとか、あの高校よりもうちの方が演奏が上手い、等と思わせる環境は音楽をする上で浅さかなものだと思う。 “音楽”とは文字通り“音を楽しむ”事ではないのか。音楽を奏でるのに優劣を付ける事もおかしいと思うし、それを強要する事も尚更であると思う。それは既に“音楽”ではなく“音学”若しくは“音が苦”になってしまっていると思う。血と汗の結晶の演奏は確かにレベルの高いものかもしれない。本番直前まで練習をして上手い演奏が出来て達成感もあるかもしれない。それが彼らの楽しみと言えばそれまでかもしれないが・・・。私は彼らの演奏を見ていて感動しなかった。そこに音楽が無かったからである。音を外そうが縦が合わないが、音を楽しめば必ずそこに感動は生まれてくる。 音楽は神が私達人間に与えてくださった素晴しい恵み。音楽を競争する為の道具ではなく、人の心に染み入る小川の様に使って欲しい。音楽で人は慰められ癒され心地よい気分にもなる。本当に大切な事を是非、指導して欲しいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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