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ふ~~~、あと1日で今年の仕事も終わりだ~~~。
とかいって正月休みは直ぐ終わっちゃうんですよね。 私の家族は「お年玉空襲」を避ける為に、大晦日から元日に掛けて箱根へ疎開します。 最近、家内と色んな話しをします。 今日も話をしていたのですが、その中でいのちのことば社から毎月発刊されている「いのちのことば」という小冊子の1月号の記事が話題となりました。表紙をめくり初めのコラムが「時代を見る目」というシリーズになっていて今回は「ひとりで生きる知恵1」副題は(だまされるな、独身者)となっていました。 教会での心無い?励ましの言葉などが記載されていて、とても興味深い内容になっていました。私達はついつい、表面上のまた相手の気持ちを考えずに、軽々しく励ましの言葉を掛け、自分の思いついた聖句を羅列してしまいがちです。でも、それがはたして相手にとって適切な言葉であるかは疑問です。その記事にも独身者に対し「もったいない」「人がひとりでいるのはよくないってありますよ」「必ずいい人が備えられているよ」とか、聖書的に根拠の無い言葉が取り上げられていました。 正しい事、聖句を言えば必ずその人の励みになるとは限らないと私も思います。かえってその言葉で相手を傷つけ、逆効果になることもあると思います。相手の気持ちや状況をわきまえないで、さも饒舌に自分の知識の中でのありったけの聖句を並び立てる事は、自己満足の世界でしかなくその状況においては、相手より高い位置から見下ろして説教をしている様なものだと言う事を心に留めなくてはいけないと思います。 その昔、私の家内が流産をして失意のどん底にいた時、女性の宣教師の方が真っ先に家に来てくれました。(私は仕事でいませんでした。) その方は、家内に 「一緒にケーキを作りましょう」 と言って色々な食材と料理の本を持ってきて、ケーキを作ったそうです。外国の方なので、「日本語は難しいですね~~」とか言って笑いながら楽しく料理をしていたそうです。 その時は最初から最後まで聖書の話や励ましの言葉は何も語らなかったそうなんです。ただ、2人でケーキを作るだけ・・・。 それが、家内にとってどんなに嬉しく励みになったことか。 相手と同じ目線に立ち、心を研ぎ澄ます時に何かが見えてくると思います。なんて、こう書いている自分は何も出来ていませんが・・・。 心と心が通じ合う時、余計な言葉は要らない。そこに主の愛が溢れ、心の奇跡が起こると思います。 イエス様が収税人ザアカイの家に泊まった時、どんな話をされていたのでしょうか?それは私達には分かりませんが、律法や神の奥義を話していたとは思えないんです。イエス様はただ食事をし、世間話をされていたのかもしれません。でも、その中にある主の愛や人柄、心に触れ、ザアカイは変えられたのではないでしょうか。 私たちクリスチャンは、神の言葉である聖書で人を傷つけない様に注意しなくてはいけないと思い、また自分にも言い聞かせる今日この頃です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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