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日本共産党 佐藤まさゆき

誕生から高校・浪人時代まで

サラリーマンの父(三年前に他界。わずか2週間の入院で急死しました)と母との間に生まれました。当時、九十歳を過ぎた祖祖母、祖父母、の3世代で暮らしていたごく普通の家庭だったように思います。父は単身赴任が多く、土日しか帰ってきませんでした。母は、洋裁の内職をして家計を支えていました。

●戦争体験を父から聞いて―中学校時代は、「戦争と平和」をテーマに弁論大会に参加
 父は小さい頃の戦争体験をよく話してくれました。ひどい食糧難など、子どもながらに「戦争はよくないことだ」と感じたことを覚えています。そのせいか、父は質素で、単身赴任先から家に帰ってきたとき、自分で焼いた煮干しを肴にお酒を飲んでいました。
 中学校時代に、NHKで「核戦争後の地球」という題名だったと思いますが、その番組を見てショックを受け、ビデオに録画したものを何度も繰り返しみていました。弁論大会では、「戦争と平和」をテーマに、弁論大会に参加した覚えがあります。

●生徒会長と吃音(どもり)
 中学校時代は、1年間生徒会長をつとめていました。当時、吃音(どもり)がひどく、みんなの前にでて話すときや、校内放送をかけるため放送室のマイクで話すときが、ほんとにいやだった。どもりで悩む方がたくさんおられると思いますが、その人たちの気持ちは痛いほどよくわかります。「潮流」のページで、吃音のことは紹介したいと思います。今のその名残がありますが、大学生のとき日本共産党に入党し、自分の生き方が定まると、不思議とどもりはなくなりました。

●自分はいったいどんな人間なのか!と模索した高校時代
 高校時代は電車で進学校に通学していました。部活動や成績のことで悩み、挫折を味わいました。「自分はどんな人間なのか」と模索を続け、宇宙の真理を学べば何かわかるのではないか、とも考え、大学は物理か哲学を学ぼうと思っていました。宇宙に興味を持ったのは、父が宇宙のことをよく私に話してくれた影響もあったのでしょう。
 文化祭でクラスのみんなと映画をつくったことは、いい思い出です。みんなでいっしょにひとつの目標にむかって力をあわせることの大切さを学びました。当時は、マイケルジャクソンの「スリラー」が一世を風靡。「スリラーダンス」を取り入れつつ、「太陽にほえろ」と「西部警察」、「必殺仕事人」を足して3で割ったような、勧善懲悪の映画。「赤い刑事」と題する映画で、悪を懲らしめる「団長」の役をつとめました。
 結局物理学科に行こうと思いましたが、数学があまり得意ではありません。高校3年生のときの試験で物理が赤点。先生から「ほんとに物理学科に行くの?」と聞かれたことを覚えています。「4年生高校」とも言われていましたが、私も受験に失敗し(現役のときは、共通一次試験千点満点最後の年でした)、もっと人間の幅を広げたいと、「学問の府」と言われる京都にあこがれ、少人数形式の京都の予備校に入学。一人ぐらし(予備校の寮)がはじまりました。

●受験競争の中で●
 人よりいい点数をとることで、自分の位置を確認していた日々。人がいい点数をとればねたみ、自分の方がいい点数をとれば優越感を感じる―いまから考えれば、なんと器の小さい人間だったんだろうと恥ずかしく思います。しかし、一緒に寮で暮らしていた仲間たちとの語らいは、仲間の絆を深くしたように思います。
 結局第一志望の大学は不合格。他に単科大学にも合格していましたが、総合大学のほうがいろんな人たちとの出会いで人間的にも大きくなれるんじゃないかと思い、かつ「北陸の小京都」「世界で二つしかないお城の中の大学」にあこがれて金沢大学に入学することになりました。

 


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