看護婦さん、ヘルパーさんにSOSした時!「我が家に看護士さんが来た日」 ある日突然、母が薬を飲み待ち間違えた事から看護士さんに来て頂く事にした時には両親とも反対をしていましたがなんとか説得して来て頂く事になり、 ベテランの看護士さんは我が家の様子を見に来て下さった時、我が家のあまりの状態を見て私に「一人で大変だったでしょう、頑張りましたね」と言って下さりました。その時には初めて多重介護が分かって下さる方に合いとても嬉しかった事を覚えています。 ヘルパー派遣を決めた日 私は実もっと早くヘルパーさんを入れたかったのですが主人に話をすると「お金が掛かる事はやめてくれ!自分の親だから自分で見た方が良い!」と怒鳴られていたのです。 その当時は彼も私も介護に関してまったくむちな素人だったから出た言葉だと今は認識していますが皆さんと繋がって居なければその後に起きた大変さは彼自身が円形脱毛症になるだけではすまなかったと思います。 其の当時の我が家の状況 今でこそ、介護自体が周りの方に認識されていますが10年前はまだ「介護は家族で」の認識が強かった時代でした。 今でも居ると思います「家に家族以外の人が来るなんて」 と話す家族の方が居ますがその時はかなり強く世間も思っている時代でした。それとその当時は家政婦とヘルパーの違いがかなり混乱をしていた時代でした。(今でも混乱している方が居られるそうです) その時は申し訳なかったのですが彼の言う事を無視して始めるほか無かったのです。 それほど精神的、肉体的にも私は追い詰められた状態だったのです。 看護士さんと福祉事務所のケースワーカーさんのアドバイスを受けてボランティアセンターのコデネーターさんなどの力を借りて「我が家なりの介護」を始めたのです。 その後及び私の思い 最初から両親も主人も反対する中でのヘルパー派遣でしたからもうなにもかもが初めて状態で手探りで使って行くほか無かったのです。 まーちゃんや両親の為そして自分自身の体を守る為だったのです。 又、来て下さるヘルパーさんたちに不機嫌に対応していた主人に私の介護の大変さを理解して頂く為でも有り頑張るしか無かったのです。 10年間かかってやっとまーちゃんの周りには沢山の方たちが関わる事が必要不可欠と感じて下さる様になった主人です。 でもこの10年間、彼の理解を取り付ける事が私の大事業でした、 其の間には何度も入退院する両親、そして私、まーちゃんなどがあって「離婚」を口にされた事もありましたし、余りの事柄が一度に起こってしまい円形脱毛症にもなられ居たと思います。 |