159444 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

さろん-みやび2 脳性まひのまーちゃんとママの笑顔介護日記

母への思い2

今日は雨の日、亡き母の事が雨音ともに心に蘇ります。
母は和裁を教えていた人です、その仕事では「自分が一番早く縫い、技術も確か」と母自体が思って居たし、実際に凄い人だった事は事実だったに違いないと思う。多くの御弟子の方に母の死後、皆さんの口から感謝の言葉を頂きました。現役の頃は子供である私から見て母は仕事に追われて居た様にしか思えなかった、ときどきキツイ目をして口にする言葉に「貴女の為にして居るの!」「今はその暇が無い!」「お金が無い!」等など子供の私に理解出来ない言葉を投げやりで怒った様に言うのが常でした。そのくせ、仕事が忙しいが私が大事だからって何もかも御弟子の方に自分の子育てを任していた事実、失敗すると人のせいにして怒って居たとの事・・・・・。
後で皆さんから聞いて申し訳ないやら恥ずかしいやら、その話をして下さるほど私を愛し育てて下さった皆さんにただ感謝するしか御座いません。今思うに私の世話を任せたのは母で若い御弟子の方には責任が無いと思ますが。母は何時まで生きて居られると思って居たのでしょうか? 「娘は世間知らずですべてが出来ない」なとど思い込んでいる節がありましたから何時まででも私の周り居て世話を出来ると思って居たに違いないのです。
母が私に対する支配感は強くて結婚、娘が生まれてからも続いて居たので主人に随分その事を言われました。孫娘の病気には理解を示さず、自分の病気は自分で直せると思っていた位、自尊心が強くてその後の介護には大変に困難を極めました。母が亡くなる3ヶ月前位でしょうか母と2人で病室に待って居なければならない時間が有り、その日の母はなぜか痴呆の状態が嘘の様に穏やかな顔して居たのです、私はその時初めて自分の成りたかった事、学びたかった事が母とは「思う考え方とは違って居た」との話をしました。
母は一言「そうだったの」と言ったきり考え込んで居ました。もしかしたら母の思いが頭を駆け回って「自分さえ居ればこの子は大丈夫」と思っていたのが崩れた瞬間だったと思います。
母の介護に置いて私は母には教えを越えなかった分を周りに居る方たちに沢山の学習させて頂き、今娘の介護の為にその事たちを土台にがんばって居られるのは天国の母の教えかしらと思う今日この頃です、
今度は母にとって孫である娘の為に「はたして私は娘にとって何だろう」と考えて行く時期かもしれませんね。
2008年3月31日書


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.