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カテゴリ:歴史同好会(寺社仏閣巡り)
【代参日:2025年(令和7年)5月5日(月・こどもの日)】 地元の雷電講の代参に行ってきました。 ※ 公式HPより 創建 推古天皇6年(598年) 板倉町にある雷電神社は、関東一円、特に利根川中上流域に点在する雷電神社の総本宮で、創建は聖徳太子によるものです。延宝2年(1674年)には上州館林藩主・徳川綱吉公の命により社殿の大改修が行われ、以後、徳川三ツ葉葵の紋章の使用を許されています。 境内は、ケヤキ、カヤ、エノキ、シラカシなどの豊かな自然を有し、約1.17ヘクタールが群馬県緑地環境保全地域に指定されています。また、雷電神社は社殿、奥宮、末社八幡宮稲荷神社からなり、社殿と奥宮は群馬県の重要文化財に、末社八幡宮稲荷神社は県内最古の木造建築物とされ、国の重要文化財に指定されています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本社とは、その神社の中心となる社殿を言います。天保6年(1835)の造営。江戸時代神社装飾建築の粋を集めた華麗な二間社権現造(にけんしゃごんげんづくり)の社殿です。彫物(ほりもの)は左甚五郎(ひだりじんごろう)10代目の親方、石原常八(いしはらつねはち)の作。名人の技をごゆっくりご覧ください。火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)・大雷大神(おおいかづちのおおかみ)・別雷大神(わけいかづちのおおかみ)、菅原道真(すがわらのみちざね)公ほかをお祀(まつ)りします。 ![]() ![]() ![]() 本堂彫刻 天保6年(1835年)には、左甚五郎(ひだりじんごろう)を祖と仰ぐ、10代目の名人彫刻師・石原常八主信(いちはらつねはちもとのぶ)たちによる現在の華麗な社殿が庶民の力により完成しました。 ![]() ![]() ![]() 八幡宮稲荷神社 群馬県内現在最古の木造建築・国指定重要文化財 八幡大神(やはたのおおかみ)・稲荷大神(いなりのおおかみ)をお祭りしています。室町時代の天文16年(1547年)、飯野城主・篠崎三河守が造営。全国に7か所あるのみの二間社入母屋造。真横から見る屋根の曲線が見事です。 末社とは本社に付属する社殿のこと。室町時代の天文16年(1547)、飯野城主(いいのじょうしゅ)篠崎三河守(しのざきみかわのかみ)が造営。全国に7か所あるのみの二間社入母屋造(にけんしゃいりもやづくり)。真横から見る屋根の曲線美が見事です。群馬県内に現存する最古の神社建築です。八幡大神(やはたのおおかみ)・稲荷大神(いなりのおおかみ)をお祀りします。■謎の真中の一本柱 国指定重要文化財のこの社殿には、御扉が2組あり、その真ん中に一本の柱が立っています。これは、二間社造りと呼ばれ、重文クラスでは全国にも7箇所しかない、珍しい造りです。室町時代、天文16年の御造営です。敢えて大いなる御力を封じ込め、やわらかい御恵みを戴こうというものです。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 〈雷電神社(群馬県邑楽郡板倉町大字板倉2334)〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年05月10日 09時52分59秒
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