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地球は暴走温室効果の瀬戸際

地球は暴走温室効果の瀬戸際

四章 意識現象と生命の誕生進化

 

四章 意識現象と生命の誕生進化

生命の誕生

この太陽系が生まれたのは四六億年前、この地球は四五億年前に誕生したと推定されている。地表では微惑星の衝突や放射性物質、そして水蒸気と炭酸ガスの温室効果などの影響で溶けたマグマにより地表は覆われており、重い鉄やニッケル等の元素が中心に集まり核とマントルが形成され、それに伴って軽い元素は表面に押し出され、水などの揮発成分やガスが地表に噴出し水蒸気を主成分とし、炭酸ガスや一酸化炭素や塩化水素そして窒素を成分とした原始大気が形成される事になった。

やがて微惑星の衝突が少なくなると共に、気温は低下しマグマの表面に薄い地殻が形成され、水蒸気は雨となって地上に降り、海が誕生した、その海に大気中の二酸化炭素や塩化水素や硫化水素も溶け込み、地表の珪酸塩等と反応して海洋の組成は現在のものに近いものとなった。海の誕生と大陸の形成と共に、大気の組成も劇的に変化し、窒素を主成分とし炭酸ガスを数%含む大気に変化した。

地球型の生命の誕生には、主に蛋白質を作るために、二0種類のアミノ酸とグアニン・シトシン・アデニン・チミン等の、ヌクレオチドが核酸を作るために必要である。これまて誕生当時の原始地球は、水素やヘリウムそしてメタンやアンモニアなど軽い気体も大量に含まれいると考えられていた、そのような条件の元でアメリカのスタンリー・ミラーはこのような組成の気体の中で、放電を起こすと多種類のアミノ酸が合成される事を、実験によって証明し一時期これが定説となった。しかしその後の研究の結果この実験の元になった大気の組成に問題があり、原始大気の組成は水蒸気や炭酸ガスや一酸化炭素や窒素を主な成分としていた事が、推定されるようになってきために、この実験ので起こったような事が、原始の地球で起こったのかどうが疑問とされるようになってた。

それが現在になって、地球の原始大気の、現在において推定されている大気の組成の状態でも、各種のアミノ酸や核酸の原料の、ヌクレオチドなどの生命の誕生に欠かせない物質を、太陽風や宇宙線を想定した、高速の粒子を当てることによって、合成したという記事が、日本経済新聞八八年七月八日号に載っていた。それによると横浜国立大学、東京工業大学、三菱化成の共同研究グループは、原始地球の大気の状態を想定した、炭酸ガス、一酸化炭素、窒素、水蒸気の気体に、太陽の爆発(フレア)による高速の粒子や、宇宙線を想定した、陽子加速器で加速した粒子を当てる事によって、グリシンやアスパラギン酸等の各種のアミノ酸を合成した事を、第五回の宇宙利用シンポジウムで発表した。原始の地球では大気上層で、太陽フレアや宇宙線によって合成された、アミノ酸や核酸などが地上に降り積もったものと推定され、それが生命を生むための原料となったと考えられる。またこれによって、アミノ酸などの有機物を含んだ、星間物質や隕石の成因の説明も可能である。

それらによって合成された物質や、海岸の塩だまりや海底の熱水噴出孔や火山や等で、生命が必要とする最も基本的な科学物質とアミノ酸が全て作られ、それらがある一定の濃度を保つ何かの仕組みかあるいは、継続的に供給され、蓄積され反応が継続する条件が整った場所はあっただろう。

生命の誕生には、蛋白質と核酸の合成が起こらなくては、誕生し得ないのだが、蛋白質を合成するためにはアミノ酸が、結合し合わなければならない、また核酸を構成するクヌレオチドの合成にはさらに、他の物質が触煤として働かなくては合成出来ない物である。

しかし蛋白質の合成にはDNAに依存しており、またDNAの合成には蛋白質がなければ合成されない。DNAと蛋白質はお互いに切り離せないものなのである。アミノ酸の合成は比較的簡単に合成され、それを構成する原子数も十個程度であるが、一つの蛋白質は数百から数千のアミノ酸の結合から成り、原子は数千から数万個多いものになると数十万個もの原子より出来ている。

アメリカの学者ジーン・スロート・モートンは偶然によって、蛋白質が合成される確率を次のように計算している。百のアミノ酸から成る単純な蛋白質の場合だけを考える事にして、アミノ酸の種類は二0種であるから単純な計算で二0の百乗であるから十の百三十乗通り有る事になる、仮にこの内の十の二0乗個の物質が、生命を構成するうえで意味のある物質だったとして、たった百のアミノ酸の結合から成る、それらの蛋白質を得る確率は十の百十乗に一回しか無い事になる。

それに対して、アーサー・エディントンの推定によれば、この宇宙には十の八十乗個の原子しかないという。この宇宙が誕生して一五0億年と推定すると(五*十の十七乗秒)仮に一秒当たり二兆回反応出来るとしたら、この宇宙が誕生して十の百十乗回反応が起こった計算になる。つまりこの宇宙が誕生して以来かなり多めに見積もったとしても、この宇宙全体でたった、百のアミノ酸から成る、一つの蛋白質を一つ作れるくらいの確率しかないのである。

しかも人間の体には二万五千種類もの酵素があると推定されており、それらの酵素が全て生まれる確率は、なんと十の二八二万五千乗に一回しか無い事になる。しかも実際に生命に使われている蛋白質は、これよりはるかに複雑で、実際の数値はこれよりずっと低くなる。この数字に表れている事は、ダーウィン的な偶然まかせの、生命の誕生や進化論では生命現象を説明することは、ほとんど不可能に近い事をこれらの数字は物語っている。これらの事から、生命を持たない物質も全ての生命も無数にも近いその選択肢から、物質そして、生命自ら自身でその道を選択し、来るべくして現在に至っているとしか、考えようがない。

私は生命の誕生に於いても、その進化においても中心的な役割を果たして来たのは、心とも言えるような現象あるいは心そのものであると考えている。とは言っても私は一般的な宗教で言う、神の存在を信じている訳ではないし、現実的な考え方ではない事は明らかである。この本の冒頭でもふれたように命を持たないはずの有機物質の中には社会的に振る舞う物質があることが知られているが、波動現象は物質の進化と生命の誕生には大きく関わってきたのではないかと推測している。

私は全ての物質と生命が人間等と同じような心を持つとは思わないが、単細胞の生命体から、人間そしてこの地球全体に至る生命圏まで、様々なレベルで様々な形態の心を持っていると考えており、もしイリア・プリゴージンの実験で証明された、散逸構造における種々の現象を、代謝的な意味での心と言える現象と定義するなら、心とも言える現象は、生命の誕生前から存在し、それが生命を持つものだけに限らない普遍的な現象である。それが蛋白質やDNAを産み出し、それが自己組織化現象を引き起こし、生命を誕生させ進化させ、それを導いて来たと言えるのではないだろうか。

物質や生命が他の物質との、様々な相互関係によって、進化を加速する現象は幾つもの例があり、その一つはドイツのノーベル賞受賞の物理化学者、マンフレット・アイゲンによって考案された、(ハイパー・サイクル)という循環的な自己組織化機構とでも言える化学反応で、変換反応のサイクルが全体として一つの触媒として働く。そしてその自己触媒のサイクルが全体として、ハイパー・サイクルを形成するという化学反応である。この反応では、条件が整うとその反応は循環的に反応し、一つのきっかけによって始まった化学反応がお互いに関係し合って、反応は加速し爆発的な速度で反応するようになる。

この化学反応のモデルは、生命の誕生と進化を説明するのに極めて有効なモデルで、生命と生命の間で起こる様々な相互関係が、生命を進化させている事をよく説明する事が出来る。また生命の誕生に於いても物質と物質の様々な相互関係が、物質自身を進化させ最初の蛋白質を誕生させる事になっただろう。それがさらに生命へと進化していった事は容易に推測できる。

どのようなきっかけが、ただの物質から生命へと加速させジャンプさせるかは分からないが、一度そのような反応が始まれば、物質から生命への加速度的な進化の説明は出来る。予めお断わりしておかねばなりませんが、これから述べる事は科学的な根拠の無い、私の推論ですが参考までに書いておきましょう。原始の海洋のどのような場所で生命に必要な全ての物質が揃ったかは分からないが、たぶん海岸の塩だまりのような中でいわゆるチキンスープの中で、核酸塩基は糖やリン酸と結合してヌクレオチドが形成されRNAが合成され、そしてアミノ酸の結合が始まっただろう。

それらの場所で散逸構造の形成が始まり、海の中にそのような条件の整う場所が有れば必然的にその構造は形成されたと思う。一旦そのような構造が形成されたらその構造自身が進化して行くことは言うまでもないが、その中にある物質も物質相互の関係によって徐々に進化して行き、複雑な構造を持った様々な有機物質を産み出し、やがてその散逸構造の中の物質相互の関係は、脳細胞のニューロンの繋がりにも例えられるほどに、複雑な関係に進化していっただろう。そのうち何か一つの出来事をきっかけに、その構造の中の様々な物質との様々な関係によって、影響を受ける物質は加速度的に進化を開始し始め、物質は分離や結合重複を繰り返しながら、大きく複雑な分子になり、物質どうしの関係はさらに複雑になり。そして様々な他の物質との相互関係によって、アミノ酸がランダムに結合した原始的な蛋白質と、同じくランダムにヌクレオチドが結合したRNAが誕生しただろう。

相互進化を引き起こし、様々な物質と物質との様々な相互関係によって、物質はあたかも意志を持つかのように振る舞い、関係する物質を選び、自ら自身を組織化し、最初の機能を備えた蛋白質へと進化させていった。私はこの最初に生まれた蛋白質は特別な意味を持っていただろうと思っている。

それはその時RNAとの連携による、原始的な蛋白質の製造機構もほぼ同時に誕生した、事を意味しているからだ。ただ数えきれない程存在しただろうと思われる散逸構造の中で、増殖能力を持つ蛋白質まで、進化出来たのは奇跡に近い出来事の積み重ねによって選び出された、一つだったのは間違いないだろう。

現在地上に住む全ての生命が一つの祖先から進化し、多様化したよてきたのと同じような現象が蛋白質のレベルでも起こり。組織を作り脳細胞の配線をするような、あるいはこの地球生態系で起こった、それぞれの種が進化して来たような自己組織化現象が、原初の蛋白質のレベルでも起こり、それが様々な機能を持った蛋白質へ進化させたのではないだろうか。

やがてチキンスープのある場所のほとんどに広がった、この祖先の蛋白質とその生産機構は、新たな散逸構造を形成し、そして次々に生産される蛋白質は、その構造を劇的に変え始め構造に、新たなゆらぎを引き起こし、何種類もの蛋白質を生産する、機構を作り出し蛋白質どうしの関係から、お互いが複雑に絡み合う関係を作り出し、それがさらに蛋白質相互の進化を加速させ、その構造の中の細切れのRNAやDNAとの様々な関係は思考システムとしての機能をさらに高め、より複雑な様々な機能を持った蛋白質を次々に作り出していっただろう。むろん資源不足を解消するために、不必要な蛋白質を分解して行く蛋白質も、そのような中で作られただろう。

いうなれば現在地球には五百万種とも三千万種ともいわれる生物種がいるがその大部分が一つの細胞からこれほどに多種多様な生物が進化したのです。これと同じ現象がRNAと原始的な蛋白質の間でも起こり多種多様な蛋白質を生むにいたったのではないだろうか。バクテリアを含む現在地上に生きる生命の細胞内では、DNA上に飛び飛びに存在する塩基配列を、継ぎ合わせるという極めて複雑な方法で、様々な蛋白質や、その生命の遺伝形質を表現する遺伝子が作られており、細胞内にあるDNAは生命体の化学的な極めて動的なシステムの中では、様々な蛋白質や遺伝子を作り出すための、単なる素材でしかないように見える。

その中に絶対的なものは存在せず、様々な関係のうちに機能としての蛋白質や、遺伝子は細胞の状況に応じて作られており、このような段階の生命すら心を持っているかのように行動している。生命の誕生前の様々な蛋白質が生まれた過程においても、これと良く似た現象が起り散逸構造の中で、原始的な蛋白質が相互進化を起こし多種多様な機能を持った蛋白質に分化したと推定される。

そしてRNAやDNAとの協力による蛋白質生産機構を完成させ、蛋白質や細切れのRNAやDNAを大量に生産し、自己を複製する機構をさらに進化させただろう。蛋白質とのとの共生みたいな形で進化してきた、RNAやDNAは最初から蛋白質を合成する為の鋳型としてあったのではなく、その環境を整える為の単なる細切れの素材でしかなかっただろう。それが分解や分離や融合や重複を繰り返しながら、周辺の蛋白質との様々な関係によって相互に進化しながら、巨大化してやがて自らが蛋白質複製の主役になり、やがて自己に必要な蛋白質と、その生産機構をDNAの融合により取り込み、自らと蛋白質生産機構を複製する、巨大なDNA分子を誕生させただろう。

それはやがて外界からの影響から隔離するために、その散逸構造その物を蛋白質の薄い膜で包み込み、やがてそれが分裂して増殖する最初の生命となっただろう。


 

生命の進化について

学者でも専門家でもない私が生命の進化について語るのは、私達人類にはもはや学者や専門家の結論を結論を待ち続ける時間はもういかほども残されていない。そして学者や専門家の言葉では人々を説得する事は出来ないのではと考えるからであります。進化について語る事は人間の最も本質的な問い、即ち我々は何処から来たのか、我々は何者なのか、我々は何処に行こうとしているのかについて語ることであり、認識の原点ともなって哲学や世界観の根元ともなり宗教にかわって、新たな社会における人の行動や規範の原点ともなり得るのではないかと考えるからであります。

生命進化の本質と自己存在の本質について理解を得て、はじめてこの社会の在り方からその文明の在り方まで語る事が可能になると私は信じている。進化論は最も高尚で大切な学問であり、また同時に最も市民に関心のもたれるものにならなくてはならない。これまで進化論は個々の生命の持つ心そのものについては、学術的に定量化する事が出来ないものとして意図的に無視あるいは除外されて来たのですが、心を語ることが出来ない進化論は不完全なものであり、無機的な死んだ学問とならざるを得ない。進化論とは楽しくかつ奥深い学問であり、存在の本質について語るものでもなければならない。

生命進化の本質について語るとき、その心を語らずして語る事は出来ない。心は私達をとりまく無数ともいえる関係が生み出す波動であり、進化はその波がある目的に向けて同期し共振するときに新たな進化が起こると私は信じている。そして生命の進化は止まる事なく現在も進行中であり、そしてそれは私達の預かり知らぬところで起っているのではない。生命の歴史数十億年のはるかな過去から現在に至る、すべて命すべての存在そのものが創造主であると同時に被創造物なのでありあります。

私は個々の生命の進化は過去から現在に至る無数の生命の織り成す関係あるいは生命総体としての関係が導く道を、個々の生命の心そのものが主体となって自らの意志でその道を選び進んで来たのではないかと考えるのであります。また自然淘汰は生命の進化において大きなウエイトを占めており、それは現在も進行中であってかつ変幻自在なものであり、その道を外れる者を淘汰するために存在している。一人一人の存在そのものが自然選択と淘汰をするものであり同時に淘汰されるものでもあるのです。人類の新たなる進化もそして滅亡も一人の個人の思いから始まるのです。そして現在では人類全体としての心の在り方そのもの一人一人の人間の心の在り方そのものが、自然淘汰の対象となって来ている事を深く認識しなければなりません。

キリスト教の影響を影響を大きく受け、ガリレオやベーコンがその基礎を築き、近代ヨーロッパの基本的な価値観となり、デカルトとダーウィンによって完成された、生命観や進化論によると、人間がこの地球上で最も進化した生命であり、この地球の支配者であるとする生命観は、ある意味ではそのとうりであるとしても、それで全てを説明する事は出来ないし、誤った生命観である。これまで人間がその誤った生命観の元で、自然の摂理を無視し、したい放題に自然を搾取し破壊した結果が、幾多の貴重な生命を絶滅させ、この地球の生態系を大規模に破壊し、人類自身の生存さえも危ぶまれるような、この世界の状況を作り出したのである。

これが私達、新世代の人間が持つべき生命観にはなり得ないし、これがこの地球における生命の進化を説明する真の進化論でもない。そこで、科学的な根拠がある訳ではないが、未来の世代の人々が持つべき生命観と、進化論についての提案をしてみたい。

この世で最大の神秘と奇跡は、私や貴方かがこの世に存在する事だ。私がこの世に当たり前の人間として存在できる確率は、単純な計算で人類の歴史を三百万年十万世代としても、十の三千京乗分の一という、とてつもない数字になる。これが生命誕生の時点まで遡るとすると計算も出来ないほどの数値となるだろう。世のなか奇跡が起こる、と言っても此れ程の奇跡は存在するまい。人が人として存在できる事の重大な意味と、私自身の命の貴重さと、神秘的な啓示さえ与えてくれる数字だ。これはまた世界に生きる全ての人間についても言えることだし、この現在この地球に生きる全ての生命は奇跡的な、出来事の積み重ねの上に存在している事に気ずくべきだ。

生命の進化の歴史は私即ちの進化の歴史でもある。この地球の生命の進化の歴史は私の進化の歴史、つまり精神と覚醒能力の進化の歴史ではなかっただろうか。高等な生命の場合その体の進化に先立って、最初にその心に環境への適応への欲求から揺らぎが生じそれが作り出す文化社会的な環境が波動現象をともなって先に進化しただろう。そして脳の進化と体の進化がそれを追うように起こったたのではないだろうか。

この地球の生命の進化と適応放散の歴史は、外部の様々な生命、そして環境とのとの関わりに於いて起こる、本能的な心の変化が、その生物の脳にゆらぎを引き起こし、外部環境の変化に感応する形で、自分自身の意識を変質させそれに対応するニューロンにおける、新たな繋がりの発見とそれに伴うように思考空間の拡大と、新たな無意識的な言葉の発見ではなかっただろうか。無意識的な新たな言葉の発見が、さらに多くの言葉を発見を生み、さらに本能的意識を変質させ、それが新たな進化の道を切り開き、その意識に合わせるように、長い時間をかけ、自ら自身の体をそれに合うように、体を変えさせ導いて行ったのではないか。

心と脳の変化はその体全体にゆらぎを引き起こし、自分自身の遺伝子をも変化させ、その変化の状態なんらかの形で、DNAに記録したのではないかと思う。さのため現在の生命の持つDNAには何等かの方法で、生命誕生時点から現在に至までの、代謝的な心と本能的な意識の変遷の状態が記録されていると考えており。それが生物の客個体の発生から誕生の過程で再現されるのではないか。

心から始まる進化は、波動現象によってその種全体を遺伝的な共通性を保ちながら、同じ方向へ向けて進化させる事を可能としただろう。脳を持たない単細胞の生命や植物にに於いても、それらの生命体は心とも言えるものを持っていると考えられている。実際に単細胞生命の細胞質の中に、蛋白質コンピューターというものが存在するらしい、という驚くべき事がアメリカの麻酔学者スチュアート・ハメロンによって報告されている。それによると細胞内に存在する、微少官と呼ばれる蛋白質繊維のネットワーク構造は、これまで単に細胞を補強するためのものであると考えられてきたが、これが神経細胞のような情報処理能力を持っているという。またバイオコンピューターの研究者も、この微少官が作り出すコンピューターのモデルが彼らの目指す、バイオ・コンピュータの原理に似ているとも言っている。

つまり単細胞の細胞を含めた脳を持たない生命でも、自己の内外における様々な認識能力を持ち、それが外界の自分の同類を含めた、競争相手や天敵や気候などの様々な関係が、新たな心の状態への移動を促し、自らの持つ遺伝的な可能性のなかで、育種家が自分好みの品種を選びだすように、その生命自ら自身がその中から、環境に合う形質を自らが選びだし、その環境に合う方向へと、体を変化させ導いて行ったのではなかろうか。

例を上げると、高等な動物の持つ免疫機構はあらゆる物質を想定した、数百万種類以上もの抗体を作る事が出来るように、その遺伝子の代謝的な思考空間の中に、外部の環境とその生物の内部の関係を想定した全ての形質が、遺伝子の思考空間の中に織り込まれており、それが内外の様々な関係に合わせて、その思考空間に織り込まれた、形質が表現され、全ての生命は、その思考空間の指し示す範囲の中で進化してきたのではないか。

このように生命の一番下におけるレベルにおいても、生命の進化はその心そのものだったと言えるのではないだろうか。そしてその代謝的な心の空間の限界が、その生命の進化の限界であり、この地球上に数えられないほど存在する変化を止め、袋小路に入ってしまった生命たちの姿であるとも言える。また心の空間を越えた適応が要求されるような、事態が環境内で起こったとき、その生物は絶滅せざるを得ない。そのため遺伝子の思考空間の広いもの、つまり適応度の高いものや、環境の変化に素早く反応できるものだけが、生き残り、それらの出来事は、その地域の同じ種の固体群を一つの単位として、同じような環境の圧力を受ける集団が、遺伝的な同一性を保持しつつ全体を同じように、その代謝的な思考の空間を変化をさせ、やがてそれは遺伝的な変遷としてDNAの思考空間に記録され、形質の変化を生み新たな種として分化させたのだろう。

その結果として生命の進化が起こり、ダーウィンのいう適者生存と自然淘汰が起こったもので、進化において最も大きな役割を果たしたのは、あくまでも生命それ自身の持つ心そのもので、ダーウィンのいう適者生存と自然淘汰は、その道を外れる者を淘汰し、その種の健康の維持には大きな役割をはたしてきたが、遺伝子における突然変異などと共に、生命の進化において占める比重は、それほど大きいものではないと私は考えている。ただ遺伝子上の変化やビールスなどは、生命の思考空間を広げ、その生物の変異の幅を広げる役割のかなりの部分を担ったが、それらによる変異は方向性持っておらず、偶然を元にした進化では、意味の有る形質を得る確率は極めて低い事が数字に表れている。生命の進化に於いて中心的な役割を占めてきたのは、生命それ自身の持つ代謝的な意味での心とも言えるものだったと思う。

一九五三年ワトソンとクリックによって、遺伝子DNAが発見されその中に生命の遺伝情報が貯えられており、それが親から子へ受け継がれて行くことが明らかになった。DNAは忠実に自己を複製するが、しかし時々その複製に誤りを生じる場合があるが、DNAの特性としてその誤りも忠実に複製する。それは蛋白質のアミノ酸の配列に変化を起こしそれが突然変異となって表れ生物の形質が変化しそれが生存に有利に働く形質ならそれが、自然選択によって、その遺伝子を持つ者の頻度が自然に高くなる。

それによって生物の進化は、DNAの複製時の誤りが子孫に伝えられたもので、生物の進化は、全くの偶然によって引き起こされるものであり、分子生物学に基づく進化論こそが人間を含めた生物の本質を明らかにし、それによって生命は遺伝子という設計図で組み立てられた分子の機械であり、此迄の分子生物学によれば、全ての遺伝情報を細かく解析する事で、生命は理解する事が出来ると考えられてきた。

一般にDNAの量が多いほど、進化の進んだ高等な生物だと言われるが、進化の袋小路に入っているはずの肺魚や両棲類の方が、より進化した生物であるはずの哺乳類や人類などより、はるかに多い事が分かっている。DNA上に有る遺伝子の数は、大腸菌で三千そしてショージョーバエで五千そして哺乳類で三万から十六万といわれるが、たったこれだけの遺伝子数で、高等な動物や人間の脳や免疫機構を説明出来るだろうか。

また実際には遺伝子の突然変異によって起こる、形質の変化は致死性のものを含む悪性のものが桁違いに多く、J・ハックスリーの試算では、新生代始新生に出現した、四本指の小型草食獣が、幾多の突然変異の障害を越えて、今日の馬に進化出来る確率は十の三百万乗分の一という驚くべき数字になっており、この数字の語ることは遺伝子上の突然変異によって、四本指の小型草食獣が今日の馬に、進化して来たのではない事を物語っている。

この分子レベルで生命を理解し進化を証明しようとする試みは、進化を偶然の産物とする突然変異と自然選択だけでは進化を説明できない事を明らかにした。

DNA上の遺伝子は必ずしも、その生物の表現形態を表しているものではなく、レトロ・ヴィールスの増殖様式の解明により、RNAからDNA合成され核内のDNAに組み込まれる事もあり、それとトランス・ポゾンあるいはジャンピングジーンと呼ばれる、細胞の核内を動き回る遺伝子の発見により、それまで絶対と考えられて来た遺伝子は相対的なもので、その中で大規模な遺伝子の融合や、重複や組み替えが常に起きていて、細胞核内のトランス・ポゾンの動きが遺伝子の活性を制御し、それがDNAを素材として細胞の状況に合わせて、機能としての遺伝子を作り出している姿であった。

生命の形質はDNA上の遺伝子が決めているのではなく、そのDNAを鋳型として作られる様々な物質との、様々な相互関係が作り出す代謝的な思考空間と、外部の環境との相互関係によってその生命の形質は決められる。このような事から遺伝子はDNAという物質の中に存在しているものではなく、生命体という化学的な思考システムの中において、DNAを素材として出現してくると、考えざるを得なくなってきたのが最近の分子生物学の現状である。

このように最近の分子生物学の進歩は、極めてダイナミックに再構成を繰り返している、動的なシステムとしての生命像を明らかにして来た。従来の考え方では遺伝子を定義する事が出来なくなって来たのが、最新の分子生物学の現状である。これは今世紀初頭に起こった物理学における、アィンシュタインの相対性理論や量子物理学の、発見と発展の時の状況に極めて似ている現象である。

このような分子生物学の現状から生命の持つ、心あるいは意識は、遺伝子そのものを変化させる事は十分可能であると考えられる。先にも書いたようにレトロ・ウィールスの増殖様式でも明らかになったように、細胞核内の思考空間の変化はRNAを変化させそれが逆に、DNAに組み込まれることは十分に考えられ、現在の私達の持っているDNAは外部における様々な関係と、その内部の物質の様々な関係とによって、常に某かの影響を相互に与え続けながら、共に進化してきたものではないだろうか。

生命の細胞内には遺伝子DNAを、はじめ数百万もの蛋白質やRNAやそして動く遺伝子トランスポゾン等の様々な物質があり、それらの物質間の相互関係は、動物の神経細胞の繋がりにも例えられるほどの複雑で、様々な関係を持っている。私はDNAは化学的なあるいは代謝的な意味での、心の空間の設計図または記憶装置で、細胞はコンピューターで言うハードウエアであり、その心はソフトウエアであり、蛋白質は分子の言葉である。各々の細胞は遺伝子DNAの示す空間内で、トランス・ポゾンなどのDNAやRNAや、様々な蛋白質の分子の言葉の、織り成す様々な関係全体がその生命の心を形成し、内外の様々な関係に合わせて思考をしていると考えている。そしてその思考はDNAの示す空間内においてのみ思考が可能で、それがそれぞれの生命の多様さを生み出している。

大腸菌などのバクテリアのDNAでは、役に立たない部分はほとんどなく、遺伝子と遺伝子が、切れ目無く繋がっているが、哺乳類等の高等な動物のDNAには、遺伝子として機能していない意味の無い部分が非常にたくさんあり、砂漠の中のオアシスに例えられるほど、遺伝子は無意味な塩基配列の中に、点在するように組み込まれている。そして私達の細胞の中には六0億塩基対、約二メートルに達するDNAがあるが、この中にたった十万の遺伝子しか無く、残りは全部意味の無いDNAと言われている。

しかし私はこの無意味に見える塩基配列の中に、太古の昔から現在に至る進化の軌跡が刻み込まれており、それがトランスポゾンや様々な蛋白質と共に、それぞれの生物の思考空間を作り上げていて、様々な発生段階や脳における配線の時に、それらの意味の無いように見える塩基配列が使用され、それに織り込まれていた遺伝子がそれが様々な関係のうち表面化すると考えており、そのような形で隠されている遺伝子はDNA上に有る遺伝子の数百倍から数千倍以上有ると考えている。

そして外部の環境や仲間の細胞とのコミニケーションによって、化学的なあるいは代謝的な意味での思考を行ない自らの役割を認識して、その役割を果し組織を作り人間の知的な能力の限界を越えた、複雑さを持つ生命体を生む。それと同じような意味で高等な動物の持つ脳は意識的あるいは無意識的な言葉の空間のなかを、心はその中を流れ動いている思考の集合体であり、意識はその電源とも言えるものではないか考えている。

心を持ち思考をする生物は人間だけではなく、大きな脳を持つ動物だけでもない。植物や単細胞の生命すら化学的な代謝的な意味での思考をする。その思考方は私たち人間の複雑で抽象的な言葉を何万語も費やして行なう思考より、本質的な思考方法なのかもしれない。それでなくてはこれほど複雑な生命は誕生する事もなかっただろうし、此れ程多種多様な生命が誕生する事も無かっただろうし、神秘的とも言える程に複雑な人の脳を配線する事はとても出来ないだろう。

この全地球的な規模の生態系の持つ散逸構造、そして原始の地球のチキン・スープの中に自然に起こったと思われる散逸構造を、心とも言える現象と定義するなら、心とも言える現象は命の有るものだけに限らない、普遍的な現象であり、心を持つ者と持たぬ者との境界は存在しないのではないだろうか。

そして原始の海洋のチキン・スープから様々な過程を経て、生命を誕生させたのもその散逸構造の持つ心その物であったし、生命の進化において主導的な役割を果たして来たのは生命自身が持つ心、そのものであったと私は考えている。そして生命は一歩また一歩とその心と意識を進化させ、外界の状況に合わせ様々な形に心は変化し、どのようなシステムでその形態を変えていくのかは分からないが、その体を変え、その細胞内の蛋白質をその目的に合う形に変え、そして最後には自省的な精神を持つ、意識を誕生させる事になったと考えている。この地球における生命の誕生と進化の歴史は、心そのものの進化の歴史だったと言えるのではないだろうか。


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