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大阪を出た小野宅子さんとそのご一行は奈良にかかり、吉野をへて伊勢に向かう。更に山道を抜けて猿のような人に会いながら善光寺に到る。更に日光を見ずしてと日光にいたり、江戸見物をすませる。都会での見物は今も昔も芝居である。江戸では3日も連続して見物している。さらに京都大阪と旅は進む。大阪からは船旅で福岡にかえりついた。
出女に入鉄砲といわれた関所対策がこの旅のテーマであった。木曽福島 箱根 新居の三つの関所に対してどんな方法をとったのか。いずれも脇道にそれる方法であった。木曽福島は大したことはなかったが、箱根新居はまとめて避けたためどうしても甲州路まで遠回りせざるをえず、まったく四角形の三片をいく遠回りであった。夏の季節外れだったこともあり、まったく此のあたりは当人たちの必死の思いがつたわってくる。 この著者は高倉健の五代前の先祖だそうで、こんな著作があると言い出したのも高倉健だそうである。 昔男ありてだの歌枕だの国文学にくわしく無い人には面倒 な所もあるが冒険記としても結構面白い。あー私も何処かへ行きたくなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 4, 2001 07:27:29 AM
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