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芭蕉が処女句集「貝おほい」を書いた伊賀市の自宅にある、釣月軒 釣月とは禅宗・曹洞宗の開祖で ある道元禅師の言葉に「釣月耕雲」というのがあり 雲を耕し月を釣るという世俗を離れた心境を表していると思われます。 「貝おほい」は芭蕉自身が編纂した、ただ一つの句集で江戸に出る前に地元の 天満宮に奉納しました。 版行は久しく不明でしたが昭和10(1935)年、天理 図書館が所蔵していると発表がありました。 地元に残っていないことを芭蕉生家の係員さんが残念がり不思議に思っているのを 聞き、そういえば私の祖母も赤坂町に住み天理教の信者で昭和三十年代までは週一度 集って拝んでいたことを思い出しました。 赤坂町では天理教の信仰が厚かったのでしょう。 そこで調べてみると天理教教祖の中山みき氏が1838年(天保9年)天理教を起こした 大和国山辺郡庄屋敷村(現在の奈良県天理市三島町)は藤堂藩の飛び地領でした。 そのため伊賀とも親交が持ちやすく普及したのだと思われます。 松尾家は明治までこの赤坂町に住んでいたのでその代の人が天理教を信仰し寄進した と思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2015年03月29日 18時49分03秒
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