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今回は、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」「甲賀と伊賀のみち」の文章に沿って写真を
撮ってきました。 ふだらくの廃寺へ の章で ![]() 「この御斎峠のみちの町石はずっしりした自然石にちかいものに、何町という文字を刻んだだけのものである。 素朴なだけに、このほうがいいという美意識も成り立つ。」 と司馬遼太郎さんが「街道をゆく」で書かれている、町石。 ![]() この道は和銅の道で711年平城遷都に伴いつくられた現在の京都府加茂町から伊賀市まで の道です。伊賀市では、伊賀上野駅から御斎峠までを、ハイキングコースとしています。 ![]() 「橋の名は「鷹之洞橋」とあった。「たかんぼら」などという谷の名前は野趣もあり、発見はおもしろく、 さっきの炭焼きの老人の口でもって発音してもらいたかったような気がした。」 という鷹之洞橋から取り込んだ水汲み場、 鷹之洞橋は見付けられませんでした。 ![]() 補陀落の滝 「街道をゆく」では「普陀落寺とでも書くのだろう」とある補陀落寺の手前にある 補陀落とは観音様の住処とされるところです。 この滝は首落の滝ともいわれ水勢が首落とすほど勢いがあるからとか補陀落寺の破戒坊主の首 を落としたとかの伝説からとかの説があります。 ![]() Г御斎峠跡」 という銘を入れた自然石の大きな碑が路傍にたっていた。碑の裏をのぞくと、 「高旗林道開通記念・施工者上野市長奥瀬平七郎」とある。 という石碑 、奥瀬さんと司馬さんは以前に親交があったようです。 「この御斎峠が、「梟の城」の最初の場面になっている。」 と書かれている御斎峠です、徳川家康が本能寺の変の時の伊賀越えした場所として 有名ですがこの逃亡路には説が二つあってそれも、面白いので、それはまた 検証したいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2017年04月13日 23時04分01秒
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