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伊賀へいらっしゃい

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2016年01月06日
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夏見廃寺は、名張市にある7世紀末から8世紀前半に建立され、10世紀末頃に焼失した
寺院です。

大来皇女が創建した寺跡で寺号は分からないが夏見にあるので夏見廃寺跡と呼ばれて
います。
天皇を弔うために建てたので何年かはこの近辺に住み、もしかしたら陵墓も発見されていま
せんが近くにあるのかもしれません。



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大来皇女(おおくのひめみこ、斉明天皇7年1月8日(661年2月12日) - 大宝元年12月
27日(702年1月29日))は、飛鳥時代の皇族。
天武天皇の皇女で初代斎王(さいおう)となりました。
斉王とは伊勢神宮に巫女として奉仕した未婚の内親王(親王宣下を受けた天皇の皇女) で
天武天皇が壬申の乱の戦勝祈願の礼として伊勢神宮に自らの皇女大来皇女を捧げたのが
初代で、以後は天皇の代替わり毎に必ず新しい斎王が選ばれ、南北朝時代まで続く制度と
なりました。


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礒之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓

「磯の上に生(お)ふる馬酔木(あしび)を手折(たお)らめど見すべき君が在りといはなくに」

父・天武天皇の死去に伴って13年間務めた斎王を解任され、同母弟の大津皇子(おおつのみこ)
は謀叛(むほん)の罪により処刑されるという悲劇に遭遇しました。
これは、嫡子草壁皇子を後継ぎにせんが ため、母である後の持統女帝が仕組んだ陰謀では
なかったかというのが通説です。
死の直前に斎宮を訪れた弟を見送った歌や弟の死の悲しみを詠んだ歌は万葉集の中でも名歌
として知られ、万葉詩人としてもその名は後世に伝えられています。

壬申の乱のとき大津皇子は高市皇子とともに大津にいたが2人の皇子は別行動をとり、
高市皇子は鹿深を越えて6月25日に積殖山口で父に追いついた。
鹿深(かふか)は甲賀、積殖は伊賀の阿拝郡の柘植である。大津皇子は遅れて鈴鹿関に着き、
無事に合流した。




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史跡地図



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夏見廃寺展示館 この後ろに史跡が在ります。





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Last updated  2023年06月22日 10時36分13秒
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