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京都府木津川市加茂町の藤堂高虎供養塔を探しに行きました。 その坂の登り口に在る道標。 左 いが 右 なら と刻まれている。 藤堂藩が建てた伊賀街道の道標で加茂町には数カ所あるそうです。 藤堂高虎供養塔 「寒松院殿道賢高山権大僧都神儀」と銘があり254cmx49cmあります。 寒松院とは高虎の法名です。高虎のお墓がある東京・上野公園内のお寺は高虎が開基したお寺で、寺号も寒松院と云います。徳川家康が75歳で死ぬ際、高虎の手を取って今までの功績に感謝しつつ「心残りはあなた(高虎)と私(家康)は宗門が違うため、来世の浄土が違ってしまうのが寂しい」と涙を流された。高虎は「私は至らない者ですが上様と同じ天台宗に改宗します」と即座に得度し、戴いた法名が「寒松院」でした。 燈明寺の北の谷を間にした丘陵の尾根、通称「イシバ山」にあります。燈明寺の墓地で,代々の住職の供養碑と共にあります。 燈明寺は天台宗の寺院なので家康との逸話とも符合します。 加茂町史には 藤堂高虎 宗国史(高虎年譜) に、元和 6 年(1620 年)に高虎自身が 90 日間、加茂の常念寺に滞在して石切りを指導したと記されており、加茂で切り出された石材は、大坂城京橋口西側の外堀内外各 25 間、 内堀の一部、西空堀の本丸側で使用されています。 燈明寺は明治の廃仏毀釈で御霊神社になっています。藤堂高虎供養塔はこの裏の北の谷を間にした 丘陵の尾根、にあります。 江戸時代の初期、寛文三年(1663)には藤堂家の支援で燈明寺の本堂、三重塔を修理しました。 その三重塔は大正3年(1014)に横浜市、三渓園に委譲され昭和6年(1931)に旧国宝(のち重要文化財)に指定され今も関東最古の塔として三渓園のシンボルとして親しまれています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年04月09日 12時54分49秒
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