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JR伊賀上野駅前の句碑 「月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿」 (佐夜中山集) (つきぞしるべ こなたへいらせ たびのやど) 寛文4年(1664年)作。芭蕉21歳。 句意は、 「明るい月は道標であり道案内だ。さあ旅の方こちらの旅宿へいらっしゃい」といった意味。謡曲『鞍馬天狗』に、 「奥は鞍馬の山道の、花ぞしるべなる。此方へ入らせ給へや。・・・」 とあるのを採った。花を月に、此方を旅の宿に換えただけのもの。 この時代の俳諧の主流は、貞門風であり未だ談林俳諧には間がある。そして貞門風は多く謡曲に題 材を採ったので芭蕉もその流儀に従っているだけのことである。 芭蕉初めての入選作品とされている。 須智荒木神社 句碑 「畠うつ音やあらし乃さくら麻 者世越(ばせを)」 5年前の句碑の写真 5年で句碑が汚れて読みずらくなっています。 元禄3年(1670年)3月11日。伊賀上野白髭神社での興行の折の作。伊賀盆地ではこの日、田起しの農作業が急 ピッチでなされていたのであろう。桜麻は麻のこと。桜の咲く時期に種を蒔くことからこう呼ばれる と言われている。 いま盛んに百姓たちは田起しの農事作業をしている。その鍬を打つ音は嵐(=荒らしの掛詞)の ように大きく響いている。春たけなわの田園では桜麻が緑のじゅうたんのように芽吹いている。 大山田地区 植木神社内 「枯芝や ややかげろうの 一二寸」 「笈の小文」 冬枯れの景色の中に、よく見ればかげろうがうっすらと立っている。 「泊船集」には 「枯芝や まだかげろうの 一二寸」 とあり「まだ」と過ぎ行く年の名残りを強く感じられる。これが初案でしょう。 冬枯れの景色の中に、それでもよく見ればかげろうがうっすらと立ち上っている。 年の宵、空のなごり惜しまむと:大晦日、過ぎ行く年に名残を惜しんで…の意。 笈の小文にあるので貞亨4年(1687年)から5年(1688年)への大晦日の作品でしょう。 この年の12月から翌年3月まで伊賀にとどまっています。 柘植 福地城跡 「楚者ハまだ花でもてなす山路かな そばはまだ はなでもてなす やまじかな」 元禄7年9月3日、51歳。この日、伊勢から門人支考が伊賀上野にやってきた。目的は芭蕉を伊勢に連 れて行くことだったが、実際には芭蕉は大坂に行き、心ならずも伊勢には行けなかった。この日、 支考は自分の門人?である斗従<とじゅう>なる人物を同道していたのです。 支考は、このまま 芭蕉と行を共にして8日に奈良、9日には大坂と移動し、結局芭蕉が大坂で死ぬまで師の傍を離れることはなかったのです。 遠来の客を迎えて新蕎麦でもてなしたいところなのですが、見ての通り伊賀は未だ蕎麦の花の 季節。食べる蕎麦は駄目ですので、ぜひこの美しく白いそばの花を味わってください。明るく弾んだ芭蕉秀句の一句 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年06月12日 17時41分32秒
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