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新大仏寺 大門 伊賀市富永 東大寺の伊賀別所新大仏寺は、1202年(建長2年)源頼朝が後鳥羽法皇の勅願寺(菊の御紋の使用を許 されている)として重源が創建されたと伝えられる。 重源は鎌倉時代に東大寺大仏と大仏殿の復興事業を指揮した僧として知られています。(当時東大寺 大仏殿は1181年(治承4年)平重衡などの南都焼討によって焼失していた。) 最初の東大寺大仏殿の建設は758年(天平宝字2年) 新大仏寺はその後、長らく衰退し、戦国時代末期にはかなり酷い状態でした。1688年新大仏寺を 訪れた松尾芭蕉はその様子を『笈の小文』や『伊賀新大仏之記』で記している。再建されたのは江戸時代中期の寛延年間(1748年 - 1751年)のことです。 明王殿 (交通安全祈祷所) 何年か前、御祈祷を受けて車に正月のしめ縄つ着けていました。 芭蕉句碑 芭蕉塚 碑文は「伊賀新大仏之記」が刻まれている。その左側に 「丈六に陽炎高し石乃上 芭蕉桃青」 の句が刻まれています。丈六とは一丈六尺(485cm)のことで以前の大仏の高さ。 句意: 昔、この石の台座に立たせ給うた丈六の尊像は跡形もない。ただ空しい台座の上に丈六仏の背丈ほど も高く燃え立つ陽炎が、いまはなき尊像の面影を幻のように偲ばせるばかりである。 元禄元年「笈の小文」の旅を終え前年の暮れから伊賀に帰郷し2月伊勢参りの行きに芭蕉が訪れた時 には大仏は台座と仏頭のみでした。 旧大仏殿 左側に新しく建立された新大仏殿がありこの大仏殿は江戸時代中期建立されたもので享保12年より 延亭5年(1727年から1740年)までにかけて、陶螢上人、宝梁律師の2代に渡っての建立。 間口6間半、奥行8間半の大仏様式の建物で、元本尊の大仏如来を祭った 由縁から大仏殿と称してい ますが、現在は釈迦如来を本尊としています。 その大仏殿の釈迦如来立像 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023年09月03日 18時56分08秒
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